よき便り 2016年11月

掲載日 2016年10月27日 木曜日   •   no comments   

 

カトリック藤が丘教会へようこそ

Welcome to Fujigaoka Catholic Church!       

                                                                                                    2016年11月カトリック藤が丘教会

よき便り

コルカタの聖テレサ

 

先月号でお伝えしたように、「苦しんでいるあらゆる人たちの希望の光」 と世界中で慕われていた「カルカッタ〈現コルカタ〉のマザーテレサ」は 9月4日教皇フランシスコにより列聖されました。

  世界中から10万人にも及ぶ信徒が参列した聖ペトロ大聖堂での列聖の式典において、教皇フランシスコはマザーのことを「自らの苦しみと貧困のために、もはや流す涙もなくして、闇の中に沈んでしまった多くの人たちに、希望の光をもたらした人」と称えられました。 

  マザーは、どうしてそのように絶望にあえぐひとたちに希望を与えることが出来たのでしょうか。それは、マザーは、主イエスご自身が受難の時に味わった苦しみと絶望を我がことのように感じ、それを主と分かち合うことが出来たからでしょう。十字架にかけられる、という過酷にして屈辱的な刑を受けたイエス、その苦しみにあって愛する弟子たちに見捨てられたイエス、最も信頼したはずのペトロにさえ「そんな人は知りません」と三度までも裏切られたイエスー その心のうちを理解出来たからこそ、マザーは、この世で苦しみ、人から見捨てられ、社会から必要ない人間とみなされている人たちに、光と希望を与えることが出来たのでした。

  今は、正式には「コルカタの聖テレサ」となられたマザーの生涯を駆け足で振り返ってみましょう。(以下聖テレサのことは「マザー」または「テレサ」という呼称に致します)  

  マザー・テレサは、1910826日に、現在は、マケドニア共和国の首都になっているスコピエにアルバニア系の両親の三番目の子供として生まれました。  

  1928年、18歳の時に、アイルランドのロレト修道女会に入会、ここで教師となる養成を終え、インドへ赴任したのが、1931年、21歳の時でした。以来、テレサは一生インドとのか関わり合いを持ち続けることとなります。後には、インドの国籍を取得します。

  終生誓願を果たしたのは、193727歳の時で、このときに「テレサ」の名前を選びました。1939年から1947年まで、カルカッタの女学校、聖マリア学院で地理などを教えました。

  1946年、列車の旅の中でテレサは、直接イエスからの呼びかけを受けました。その呼びかけでイエスは、テレサに「貧しき中の貧しい者たちのために生涯を捧げなさい」と仰せられたそうです。

  この啓示を受けてから、テレサの生活は変わります。

  まず、1948年、特別の許可を得て修道院を離れ、一人でカルカッタ市内のスラム地区に住みます。伝統的な修道女の「制服」を捨て、テレサはインド女性が着る質素なサリーを身にまとい、貧しい人たちのための奉仕活動を始めました。その頃のテレサは収入もなく、自身貧苦に苛まれていました。 食べ物や必要な、物資は、恵んでもらう以外入手出来なかったのです。その頃のテレサの 日記には、自身の決断への後悔、孤独、修道院へ戻ろうかという躊躇の中で暮らしぶりが記されています。しかし、やがて、かつての教え子たちがボランテアとして手伝いに来てくれるようになり、彼女たちの献身的な活動に共鳴した教会関係者や地元の名士たちが寄附を寄せるようになりました。

  こうして、1950年新しい修道会の創立が許可され、ここに「神の愛の宣教者会」が誕生の声を上げたのでした。テレサは、修道院長として、「マザー」と呼ばれるようになりました。マザー自身がこの修道会の目的を「飢えた人、衣服のない人、体の不自由な人、病気の人、誰からも必要とされない全ての人、愛されない人、誰からも世話を受けられない人のために働くことにある」と述べておられます。まさに、イエスの教えの実践です。

  マザーは、インド政府から譲り受けたヒンズー教寺院の廃寺を「死を待つ人々の家」というホスピスにしました。その他にもホスピスや児童のための養護施設を次々と開設しました。このような活動の初期のころ、地元の人たちは、 マザーがこれらの施設をキリスト教の布教の拠点にするのではないかと、不信の目を向け、冷たく見ておりました。しかし、シスターたちの、介護する相手の宗教を尊重する徹底した態度は、世間に関心を持たれ、敬意の的となりました。そして次々と寄付が寄せられるようになりました。「神の愛の宣教者会」の活動は10年後には全インドに広まりました。そして、やがては、世界的規模で、貧しい人たちのための活動へと発展して行ったのです。  

  マザーや「神の愛の宣教者会」のシスター方の愛と献身の活動は、カトリック教会内ばかりでなく、国境を超え、宗派を超えて全世界の称賛と尊敬を集めました。それは、マザーが受けた数々の賞や勲章の数などによっても証明されています。1962年から1997年に亡くなるまで、主な勲章、表彰だけでも12件はあります。もちろん、1979年のノーベル平和賞が最も有名ですが、1996年の「アメリカ名誉市民権授与は、当時では2人目で、その後の授与も含めて2014年現在、この栄誉を受けたのは、7人しか居ません。

  ノーベル平和賞の授賞式には、いつものサリー姿にサンダル、といういでたちで勲章を受けました。賞金は全てカルカッタの貧しい人たちのために使われたのです。

  多くの人たちとの交流の中で、マザーとダイアナ妃との交流は良く知られています。ダイアナ妃が不慮の事故で亡くなったのは、1997831日でした。マザーもその頃、転倒し首の骨にひびが入ったり健康状態は、非常に悪化していました。それでも、マザーは、修道会を通じて、短いけれど、心に沁みる弔意のメッセージを残されました。「マザーは、悲しんでいます、マザーは、ダイアナさんが好きでした。」そして、5日後の95日、後を追うようにマザーも天に召されました。87歳でした。

  マザーの死に世界は、悲しみにおおわれました。マザーのために、インド政府は国葬を挙式しました。それは、宗派を超えた、威厳の中にもシンプルなお別れの儀式でした。マザーの小さなご遺体の入った棺はインド軍の砲車に乗せられて、埋葬される「神の愛の宣教者会」の本部まで、運ばれました。軍隊の砲車に乗せられてマザーは、苦笑されていたかもしれません。しかしインド政府としては、国家最高の栄誉を以てマザーをお送りしたのでした。

  マザーのご遺体は、40年にわたってマザーの活動の本拠であった、コルカタ市内の、ご自身が創立した修道会本部に安置されて、多くの巡礼者が訪れています。  

  マザー・テレサは、20031019日、教皇ヨハネパウロ二世によって列福され、その後上述の通り、2016年9月4日教皇フランシスコにより列聖されました。  

  「コルカタの聖テレサ」の祝日は、9月5日です。

  キリストの教会は社会に対して開かれた共同体です。より多くの人びとが、わたしたちのカトリック藤が丘教会の扉を叩かれることをお待ちしております。興味をお持ちになられた方は、ぜひ日曜日のミサを覗きにいらしてください。

過去の巻頭言・よき便り一覧はコチラから閲覧できます.

ミサのご案内 Mass Everyday

主日のミサ 土曜日 Sat 17:00
日曜日 Sun 9:30

平日ミサの日時につきましては教会事務所までお問い合わせ下さい。

所在地 Address 東急田園都市線「藤が丘」駅下車、徒歩約7分 横浜市青葉区柿の木台1-2

<お問合せ> 教会事務所 (045)973-4100 FAX(045)979-0506

お問い合わせ・ご質問は、教会事務所までご連絡ください

火曜日~金曜日   午前10時~午後4時

土曜日       午前10時~午後17時30分

日曜日       午前10時~午後1時

※都合により、事務所スタッフが不在の場合もございます。あらかじめご了承