巻頭言 2019年7月
掲載日 2019年6月28日 金曜日 •
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2019年7月
よき便り
──イエスが伝えた日々の祈り──
カトリックに限らず、クリスチャンにとって大切な祈りに「主の祈り」があります。祈りは、何冊も祈りの本が発刊されるほど数多くありますが、イエスが最初に弟子たちに教えた祈りが「主の祈り」でした。その時の様子が、年間第17主日の福音朗読で語られます。
イエスはある所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」と言った。
そこで、イエスは言われた。「祈る時には、こう言いなさい。
『父よ、
御名が崇められますように。
御国が来ますように。
わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。
わたしたちの罪を赦してください、
わたしたちも自分に負い目のある人を皆赦しますから。
わたしたちを誘惑に遭わせないでください。』」
(ルカによる福音書11・1〜4)
このシーンは、マタイによる福音書にも書かれていますが、文言が追加されて現在の「主の祈り」の形に近くなっています。福音記者のルカが書き記したものは、「主の祈り」の原型とも言えるものです。
さて、何かを祈ろうとするとき、わたしたちはつい「(わたしが)こうなりますように」「(わたしのために)こうしてください」と祈ってしまいます。しかしイエスは、「わたしに必要な糧を……」「わたしの罪を赦して……」「わたしを誘惑に遭わせないで……」とは言いませんでした。わたし個人のために自分本位に好き勝手に祈るのではなく、「わたしたち」一人ひとり全員のために祈りなさいと伝えたのでした。
そんな祈りの姿勢を伝えたイエスでも、受難に向かう前のオリーブ山での最後の祈りにおいては、「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。」(ルカによる福音書22・42)と自分のために祈りました。神さまと一体であるイエスも、受難に向かう前とあっては、自分のために祈らざるを得なかったのでしょう。だからこそ、わたしたちが困難な状況に向かう時、試練のさなかにある時、自分のために祈ることは仕方のないことなのです。イエスは自分の祈りの後に次のように続け、神さまにすべてを委ねたのでした。
「しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。」
主の祈りを唱えるわたしたちは、神さまにとってたいせつな存在であるからこそ、わたしたち自らすべての人のために祈ります。それは、神さまの御心に、わたしたち自身を委ねていく祈りでもあるのです。
キリストの教会は社会に開かれた共同体です。より多くの人々がわたしたちのカトリック藤が丘教会の扉をたたかれることをお待ちしております。興味を持たれた方は是非日曜日のミサにいらして下さい。
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ミサのご案内 Mass Schedule
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日曜日 Sun |
10:00 |
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