巻頭言2020年9月

9月 1st, 2020   •   no comments   

 

 

 

 

カトリック藤が丘教会へようこそ

Welcome to Fujigaoka Catholic Church!

 

2020年9月      

よき便り    

神さまからいただくもの

 

今年の主日ミサの福音書朗読は、マタイによる福音書にある出来事が読まれています。年間第25主日のミサで読まれる個所は、「ぶどう園の労働者」のたとえ(マタイによる福音書20・1〜16)として、神さまからいただく恵みについて書かれています。そのたとえ話は、次のようなものです。

 

ある家の主人が夜明けに、一日につき一デナリオンの約束でぶどう園で働く労働者を雇います。その後、9時、12時、15時、17時にも広場に立っている人がいたので、主人は「あなたたちもぶどう園に行きなさい。」と雇います。夕方になって主人は、ぶどう園に最後に雇われた人から順に一デナリオンずつ支払ったという話です。

 

同じ作業の労働力の対価として考えれば、この主人は相当おかしなことをしています。それは当時の人にとっても同じ思いであったのでしょう。主人に対し「最後に来たこの連中は、1時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは」と不平を述べています。この不平に対し主人は、「わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ」と返します。

 

当時のユダヤ社会においては、神さまとの約束として定められた律法に、どれだけ従って生きることができるかが重要なことでした。律法に忠実に従うことが神さまの意に即した生き方で、そうするからこそ神さまからの恵みを享受できるとされていたのです。だからこそ律法学者や祭司長は、律法を守る生活を第一に考えていたのでしょう。

 

「ぶどう園の労働者」のたとえでは、ぶどう園の主人は神さま、夜明けから主人と約束して働く労働者は律法学者や祭司長を、広場で声をかけてもらうまで立って待っている人は神さまからの恵みを待ち望む人たちを表しています。神さまの恵みは、律法学者や祭司長のように最初から神さまと約束して働いたことの対価として与えられるものではないのです。

 

主人は、広場で声をかけてもらうまで立って待つ人には、「あなたたちもぶどう園に行きなさい」とだけ伝え、「一デナリオンで」と対価の話をしていません。後からぶどう園に来た者であっても、律法学者や祭司長と等しい対価を支払っています。神さまが与える恵みは、職種や職位に応じて与えられるものでもありません。

 

広場で声をかけてもらうまで、一日中ただただ立って待つ人は、9時、12時、15時、17時と時間が過ぎるにつれ、「今日もまた仕事がないかもしれない」と不安を強くしたかもしれません。「誰かの役に立てることはないのか」と絶望を感じたかもしれません。それはひたすら神さまからの恵みを待ち望む人の姿に映ります。そんな人たちに神さまが与えた恵みは、不安や絶望のなかにあって、より大きな輝きを持った恵みとして感じられたのではないでしょうか。声をかけられ、ぶどう園へと歩み始めるときの喜びを思い起こしながら、わたしたちも神さまからいただく恵みを感じていきたいと思います。

 

キリストの教会は社会に開かれた共同体です。より多くの人々がわたしたちのカトリック藤が丘教会の扉をたたかれることをお待ちしております。興味を持たれた方は是非日曜日のミサにいらして下さい。

 

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巻頭言2020年8月

8月 2nd, 2020   •   no comments   

 

 

 

 

カトリック藤が丘教会へようこそ

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2020年8月      

よき便り    

必要な時に手を差し伸べる神さまを信じて歩む

 

今年8月の主日ミサでの福音書朗読は、信仰について語られています。カトリック教会においては、洗礼を受けたのちに、堅信(けんしん)と呼ばれる秘跡を受けます。それは、神さまからの息吹が聖霊としてもたらされるとともに、それによって強められ、一人の信徒として信仰のうちに歩み始めるときでもあります。

 

神さまとともに歩み続けるよう「堅く信ずる」と書きますが、なかなか難しいものです。ふと、論語の「不惑」という言葉が思い浮かびます。大人として「四十にして惑わず」と言われますが、実際のところは「四十にして惑うことばかり」という日常です。信仰の歩みも同様です。みなそれぞれに「堅く信じたい」と思いながら、どこか信じきれず、本当に神さまはともに歩んでくださるのかと不安に感じながら、それでも神さまとともに歩み続けたいと思いながら歩んでいます。

 

これは、イエスとともに歩んだ弟子たちも、そうであったようです。逆風のなか思うように進まない舟に悩まされた弟子たちのもとに、イエスが湖の上を歩いて行かれたときのことが、マタイによる福音書に次のように描かれています。

 

弟子たちは、イエスが湖上を暑いておられるのを見て、「幽霊だ」と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」すると、ペトロが答えた。「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」イエスが、「来なさい」と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、「主よ助けてください」と叫んだ。

(マタイによる福音書14・26〜30)

 

湖の上を歩くイエスの姿に、弟子たちは「幽霊だ」とおびえます。ありえないものを見てしまったと感じたのかもしれません。しかしイエスとともに過ごしてきたペトロには、それはイエスならできると信じていたのでしょう。「そちらに行かせてください」と願いました。イエスの「来なさい」という言葉を信じて湖の上を歩いて、イエスの元に向かうのですが、強い風に沈みかけたことで、我に帰って怖くなります。

 

ペトロはそんな時にあっても、イエスは自分を見捨てないと感じていたのでしょう。「助けてください」と助けを求めます。福音書には、その求めにイエスはすぐに手を伸ばして捕まえたと書かれています。

 

わたしたちは、常にさまざまなものに惑わされながら生きています。時には、波風にさらされ、雨に打たれ、道をなくしてしまうような困難な出来事に遭うかもしれません。そんな時にあっても、神さまはわたしたちの求めに応じて、必ず手を差し伸べてくださる。そう感じながら歩み続けていきましょう。

 

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巻頭言2020年7月

6月 30th, 2020   •   no comments   

 

 

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2020年7月      

よき便り    

だれもが天の国に招かれている

 

イエスが天に上げられ復活節を終えたばかりのこの時期の福音書朗読は、残されたわたしたち一人ひとりを強めるように、カトリックの信仰にとってたいせつなことや、信仰の礎となることについて読まれています。

 

今年の7月の福音書朗読は、マタイによる福音書の13章から、湖のほとりで大勢の群衆に語ったたとえが3週にわたって話されます。3つのたとえ話の最初の2つは、福音書の見出しにはそれぞれ、『「種を蒔く人」のたとえ』『「毒麦」のたとえ』とされています。

 

しかし、この2つのたとえでイエスが伝えたかった本当にたいせつなことは、「種を蒔く人」のことではなく、良い土地に蒔かれた「種」のことです。同様に、「毒麦」そのものの存在ではなく、毒麦とともに育った「良い麦」のことです。

 

それぞれ描かれるものは異なっていますが、その根底にあるのは、神さまの御旨に従って生きるということでした。神さまは天の国に迎え入れるのは、それぞれの人に蒔かれた神さまからの御言葉を聞いて悟ってしっかりと根を張って生きる人、毒麦のような存在がありながらも、それに染まらずにしっかり育って実を稔らせる人だということでした。このように、神さまへと立ち返った人が、『「天の国」のたとえ』にある「畑に隠されていた宝」であり「良い、高価な真珠」なのです。

 

それでは、そんな宝や真珠のような人だけしか、天の国に迎え入れられないのでしょうか。天の国に迎え入れられるのは、限られた人の特権ではありません。イエスはマタイによる福音書のなかで次のように話しています。

 

疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で、謙遜な者だから、わたしの軛を追い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。(マタイによる福音書11・28〜30)

 

イエスが生きたユダヤ時代は、神さまとの契約として律法に徹底的に従うことが求められ、律法に従わない人は神さまからも見放されても仕方がないとされていました。そういう当時の「軛」に対しイエスは、疲れてしまった者や重荷に感じる人は「だれでも来なさい」と話すのです。

 

イエスの話す「わたしの軛」とは、神さまを信頼して謙虚に従っていくこと。それには、神さまの御旨に従って生きているイエスご自身に学びなさいと諭すのでした。人が神さまの御旨はこうなんだと勝手に規定した律法に従っていくのではなく、神さまを信頼して生きていく。だからこそ荷が軽く、神さまのもとで安らぎを得られると言います。それはすなわち、だれもが神さまから天の国に招かれている存在であるからなのです。

 

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