2019年11月巻頭言

11月 7th, 2019   •   no comments   

 

 

カトリック藤が丘教会へようこそ

Welcome to Fujigaoka Catholic Church!

                                                 

            2019年11月      

よき便り    

神さまはすべての人に目を向けられる

 

 

 カトリックの典礼暦は11月末の日曜日に「王であるキリスト」を祝って終わり、待降節から新たな暦年を迎えます。暦年の終わりの月である11月は、「死者の月」として亡くなった人を思い起こし、永遠の安息を願い、いつかわたしたちもまた天の国で共に憩うことができるよう祈ります。

 さて、今年の福音書朗読は『ルカによる福音書』が中心に読まれてきました。11月はイエスが世の罪を担って十字架に付けられて死んでいくまでの出来事が読まれていきます。罪人(つみびと)として蔑まれて来た人たちさえも神さまは見捨てることがなかったということが描かれています。

 年間第31主日の福音書朗読では、ルカによる福音書の19章から『徴税人ザアカイ』の部分が読まれます。旅の途中でイエスが、徴税人の頭であるザアカイの家に泊まることにしたという話です。

 イエスが生きたユダヤ時代は、徴税人は人々からローマ皇帝への税金を集める役割を担っていました。しかし、実際は、本来の税金に必要な額以上を民衆から取り立てて、余った部分を懐に入れて私腹を肥やすので嫌われた存在でした。その徴税人の頭も同様で、数々の徴税人たちが税金として集めてきたお金を、これまた多めに徴収して懐に入れてしまう存在。徴税人は罪人で嫌われていた社会でした。

 そんな徴税人の頭であったザアカイも、イエスのことを以前から聞いていたのでしょう。ちょうど通りがかったイエスを見ようとしたのですが、背の低かったザアカイには、群衆の肩越しにさえも見ることができませんでした。それでも諦めきれずに、いちじく桑の木に登ってまで見ようとします。その存在に気付いたイエスは、ザアカイに声をかけられます。「急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」

 存在に気付いてもらえたことを喜んだザアカイは、家にイエスを迎え入れ、次のように回心を誓ったのでした。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人に施します。また、誰かからなにかを騙し取っていたら、それを四倍にして返します。」

 イエスがザアカイに目を止め、泊まりに行ったことを見ていた群衆は、口々に「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」と呟きます。「なぜあんな奴のところに」という侮蔑のあらわれです。これはザアカイに限らないことかもしれません。わたしたちは、気づかないうちに、善き人は罪深い人には関わらないだろう、罪深い人には神さまの救いなど無くて当たり前だ、罪深い人が救われることなんてあるものかと思ってはいないでしょうか?

 しかし、イエスは、そんな罪深い人の存在にも目を止められ、回心したザアカイに「今日、救いがこの家を訪れた」と伝えます。ザアカイが本当に回心して、誓った言葉を実行したかどうかは聖書は伝えていません。たいせつなことは、神さまはすべての人に目を向けられるのだということ、そして回心しようとしたことを喜んで、救いの手を差し伸べられるということなのです。

 キリストの教会は社会に開かれた共同体です。より多くの人々がわたしたちのカトリック藤が丘教会の扉をたたかれることをお待ちしております。興味を持たれた方は是非日曜日のミサにいらして下さい。

 

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ミサのご案内 Mass Schedule

主日のミサ 土曜日 Sat   17:00
日曜日 Sun   10:00

平日ミサの日時につきましては教会事務所までお問い合わせ下さい。

所在地 Address 東急田園都市線「藤が丘」駅下車、徒歩約7分 横浜市青葉区柿の木台1-2

<お問合せ> 教会事務所 (045)973-4100 FAX(045)979-0506

 お問い合わせ・ご質問は、教会事務所までご連絡ください

火曜日~金曜日   午前10時~午後4時

土曜日       午前10時~午後17時30分

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2019年10月巻頭言

10月 1st, 2019   •   no comments   

 

 

カトリック藤が丘教会へようこそ

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            2019年10月      

よき便り    

神さまの前に、いかに生きるか

 

10月の福音書朗読は、神さまに対する姿勢のことについて書かれています。わたしたちは日頃、神さまに「○○してください」とお願いをします。その願いが叶えられた時、わたしたちはどうしているでしょうか。願いが叶った喜びのうちに、神さまに願ったことすら忘れてしまってはいないでしょうか。

年間第28主日で読まれるルカによる福音書は、重い皮膚病を患っている10人の人たちの様子が描かれています。その10人は、エルサレムに上っていくイエスを見かけて、遠くから「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と声をかけました。(ルカによる福音書17・11〜13)

当時のユダヤ社会では、重い皮膚病は汚れたものとされていました。その10人は、自分たちが汚れている存在であることを知っていましたから、遠くからただただお願いしたのでしょう。当時は、病気が治ったことを証明するためには、祭司に体を見せる必要がありました。だからこそ、イエスは10人に「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と声をかけられました。ただ声をかけられた10人でしたが、イエスの言葉を信じて祭司のところに向かいます。聖書は、その向かっている最中に「清くされた」と書いています。

祭司に体を見せにいく途中で、自分が癒されたと知った10人ですが、実際に祭司に体を見せて社会復帰したかどうかは聖書には描かれていません。しかし、10人のうちサマリア人のひとりだけは、イエスの元に、大声で神を賛美しながら戻り、ひれ伏して感謝したと伝えています。イエスはこの人に「あなたの信仰があなたを救った」と声をかけられます。さて、この人は信仰があったから、体が清くされたのでしょうか? 

そんなことはありません。イエスが「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻ってきたのはいないのか。」と嘆いたとおり、イエスに声をかけた10人はそれぞれ癒されたのです。神さまは、信仰を持っているかどうか、あるいは信仰が深いか浅いかにもよらず、同じように癒してくださったのでした。

ただひとり、サマリア人だけは、望んだ願いが叶えられたことに対し、イエスのもとに戻って神さまへの精一杯の感謝を表したのでした。イエスが「あなたを救った」というのは、単に重い皮膚病が清くされたことなのではなく、神さまへの感謝を表したことで、それ以降も神さまがその人を祝福し、より多くの恵みを与え続けて下さるであろうということなのではないでしょうか。

 

わたしたちもまた、だれにも手を差し伸べてくださる神さまに感謝しながら、その恵みのうちに歩み続けていきたいと思います。

キリストの教会は社会に開かれた共同体です。より多くの人々がわたしたちのカトリック藤が丘教会の扉をたたかれることをお待ちしております。興味を持たれた方は是非日曜日のミサにいらして下さい。

 

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ミサのご案内 Mass Schedule

主日のミサ 土曜日 Sat   17:00
日曜日 Sun   10:00

※5月12日から日曜のミサ開始時刻が9時半から10時へ変更になりました。

平日ミサの日時につきましては教会事務所までお問い合わせ下さい。

所在地 Address 東急田園都市線「藤が丘」駅下車、徒歩約7分 横浜市青葉区柿の木台1-2

<お問合せ> 教会事務所 (045)973-4100 FAX(045)979-0506

 お問い合わせ・ご質問は、教会事務所までご連絡ください

火曜日~金曜日   午前10時~午後4時

土曜日       午前10時~午後17時30分

日曜日       午前10時~午後1時

※都合により、事務所スタッフが不在の場合もございます。あらかじめご了承ください

2019年9月巻頭言

8月 28th, 2019   •   no comments   

 

 

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            2019年9月      

よき便り    

立ち返ってくる人を神さまは祝福される

 

今年の年間第24主日の福音書朗読は、ルカによる福音書から「見失った羊」「無くした銀貨」「放蕩息子」の3つのたとえが読まれます。(ルカによる福音書15章)このうち「見失った羊」のたとえは、6月に行われたイエスのみ心の祭日に読まれた福音書朗読の個所です。この部分は6月に「善き牧者イエス」として紹介しました。

 

さて、ここで読まれる福音書の3つのたとえに共通しているテーマは、「いったん失ってしまったものが見つかる」ということです。見失った羊の個所では、羊飼いはすでに聞き従っている羊たちを残してでも、迷っている羊を探しに行き、探し出し、抱き上げ、迎え入れて喜びました。無くした銀貨 のたとえでも同様です。ある女は、見失った銀貨を探して見つけ、見つかったことを喜ぶのです。羊飼いや女は神さまを表しており、見つけ出されるものは神さまから離れてしまった人を暗示しています。

 

こうした短い2つのたとえの後に話されるのが、放蕩息子のたとえです。父親から分け与えられた財産を手にして離れて行ってしまった息子が、放蕩の限りを尽くして無一文になります。そうなって初めて自分のしてきたことを反省し、父親のもとに帰ると決めたのでした。それもただ戻って息子として過ごそうとするのではなく、雇い人として使ってもらおうと決心して戻っていくのでした。

 

父親は遠くに帰ってきた息子を見つけ、駆け寄って抱き、新たな服を着せ、ただただ無事に戻ってきたことを祝います。しかし、父親の下で不自由なく暮らしてきた兄は、こうした父親のやり方は面白くありません。放蕩の限りを尽くして無一文になってきた弟に、着るものを着せ、着飾り、さらに祝宴まで開いたとあっては、無理もありません。不満を爆発させてしまいます。そんな不満に対して、父親は次のように諭すのでした。

 

「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。」(ルカによる福音書15・31〜32)

 

この父親の言葉こそ、神さまの思いの表れです。いつもともにいる人には必要なものを与え続け、放蕩息子のようにいったんは神さまのもとから離れてしまった人であっても、神さまのもとに立ち返ろうとするならば、それを喜び、いつもともにいる人と同様に当たり前のこととして手を差し伸べるのです。

 

神さまと出会う時は人それぞれですが、神さまのもとに立ち返ろうとする人にはいつでも祝福をあたえてくださる。そんな神さまの思いを胸に歩み続けてまいりましょう。

キリストの教会は社会に開かれた共同体です。より多くの人々がわたしたちのカトリック藤が丘教会の扉をたたかれることをお待ちしております。興味を持たれた方は是非日曜日のミサにいらして下さい。

 

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主日のミサ 土曜日 Sat   17:00
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※5月12日から日曜のミサ開始時刻が9時半から10時へ変更になりました。

平日ミサの日時につきましては教会事務所までお問い合わせ下さい。

所在地 Address 東急田園都市線「藤が丘」駅下車、徒歩約7分 横浜市青葉区柿の木台1-2

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