よき便り 2016年3月

2月 27th, 2016   •   no comments   

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2016年3月カトリック藤が丘教会

よき便り(2016年3月)

「イエスの死と復活」

 新約聖書の4つの福音書で詳しく描かれているように、イエスは様々な癒しの「わざ」を行ないながら「神の国の到来」という福音を説いてまわりました。そして、最後にユダヤ人の「過ぎ越し祭」の時期に合わせて、エルサレムに入りました。しかし、イエスから厳しい批判を浴びていた当時のユダヤ教の指導者たちは、イエスを捕えてローマ総督ピラトのもとに差し出し、まんまと「ローマ皇帝への反逆者」として十字架刑に処することに成功します。十字架刑は、極悪人に対して執行される残酷な刑罰でした。身体を十字架に打ち付けて、生殺しにされるのですから、受刑者の苦しみは筆舌に尽くしがたいものです。

 

 「マルコによる福音書」第15章によると、イエスは朝9時ごろに十字架につけられますが、12時には全地が暗くなり、それが午後3時まで続きました。午後3時にイエスは「私の神、私の神、なぜ私をお見捨てになったのですか」と叫びました。これは一見、絶望の叫びのように見えます。しかし、そうではありません。

 

 この句は、旧約聖書の「詩篇」22章の冒頭の句と同じです。22章は、主なる神を賛美するダビデの賛歌であって、人間の悲惨さの認識から始まり、最後には全知、全能、全善の神への全面的な信頼の祈りに昇華されていきます。実際、「ルカによる福音書」23章ではイエスは「父よ、私の霊を御手にゆだねます」と言って息を引き取られた、とありますが、これは「詩篇」31章6節の句と同じです。イエスは自らの心情を、詩篇のこのような部分の心情と重ね合わせたのです。

 

 先月の「よき便り」で私たちは「ヨブ記」について考えましたが、お気づきのように、「ヨブ記」の構造とイエスの十字架上の祈りの構造は同じなのです。イエスは神でありながら人間の姿をとられたのですが、人間としてイエスはもちろん、全く罪のない方でした。そのイエスが無実の罪で残酷な十字架刑につけられるというのは、全くの不条理です。ヨブもイエスも、最初はその不条理に対して抗議しながらも、最後には自らの運命を神のみ旨に委ねたのです。ではイエスの十字架刑による死には、父なる神のどのような意図が隠されていたのでしょうか。

 

 イエスの十字架上の死の一つの目的は、全く罪のないイエスが自らを犠牲に供することによって、人類の罪を贖うことにありました。このことをイエス御自身は次のように言い表しています。「人の子(私)は、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」(マルコによる福音書、10章45節)と。イエスはこれによって、神の大いなる愛を示したのです。

 

 そして、もうひとつの目的は、神みずからがイエスを復活させることにあったのです。イエスの復活の意味については、来月に改めて取り上げますが、死後3日目にイエスは父なる神によって復活させられました。イエスは肉体的に蘇生したわけではありませんが、イエスの弟子たちはイエスの「復活」を確認しました。これは、逃亡した弱い弟子たちが、イエスの「復活」を体験した後に変えられ、命を惜しまず困難な宣教の事業を果たした事実によって、推察されます。そしてイエスの復活は、イエスを信じるキリスト信者の復活を保証しています。パウロは言います。「主イエスを復活させた神が、イエスと共に私たちをも復活させ、あなた方と一緒に御前に立たせてくださると、私たちは知っています」(コリントの信徒への第二の手紙、4章14節)と。

 

 今年は、3月27日(日)がキリストの復活の主日です。キリスト信者は皆、キリストの十字架上の死に思いを重ね、キリストの復活の喜びに浸ります。 
  キリスト教の教会は、社会に対して開かれた共同体です。より多くの方々が、私たちのカトリック藤が丘教会の門を叩かれることを、お待ちしています。
興味を持たれた方は、ぜひ日曜日のミサにお越しください。

 

 

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よき便り 2016年2月

1月 31st, 2016   •   no comments   

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2016年2月 カトリック藤が丘教会

よき便り(2016年2月)

「ヨブ記」と神義論

   世界では毎日のように悲惨な戦争や災害が起っています。天地の創造主であり、全知全能の神様は、なぜそのような悲惨な出来事が起るのを許されるのでしょうか。戦争やその他の人間が引き起こす悪については、人間の罪の現れだ、と説明できるかもしれません。しかし例えば、この前の東日本大震災で数多くの罪もない人々が命を奪われた事実の不条理は、どのように説明できるのでしょうか。それは誰かが言ったように、爛熟した社会で神仏を忘れて享楽的に生きる日本人に対する「天罰」なのでしょうか。

 

 この問題に関して思い出されるのは、旧約聖書の中の「ヨブ記」という長大な詩歌です。ウツの地に住むヨブは無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きていました。たくさんの子供と使用人、そして莫大な財産を持ち、貧しい人々や抑圧された人びとを助け、悪を裁き人々の指導者として尊敬されていました。ところがある日、突然に彼の子供たちがすべて殺され、すべての財産が奪われました。さらに彼は象皮病という恐ろしい病に罹り、眠ることさえできない痛みと苦しみにさいなまれます。彼の身体は衰弱して骨と皮となり、吐く息は悪臭を発し、誰も彼に近づかなくなり、彼は早く死にたいと、切実に願います。

 

 ヨブを慰めようと遠方からやってきた旧友たちは、ヨブの変わり果てた姿を見て声もかけられず、何日もヨブとともに悶え続けます。長い沈黙ののち、ヨブはこのような不条理を与えた神を訴え始めます。神への篤い信仰を持って正しく生きてきた自分がどうしてこんな目に遭わなければならないのか、と。これを聞いて友人たちは怒りはじめます。三人の友人たちとヨブは果てしなく論争を繰り広げ、それにもう一人の論客も参加します。ヨブに対する友人たちの批判点は二つです。一つは、完全に正しい人間などと言うものはないのだから、よく内省して罪を悔いあらためよ、ということ。つまり「天罰」論です。第二は、神がなさることを人間が判断するのは不遜であり、間違っているということです。だが、ヨブは批判されると余計頑なになって、自分の正しさと神の不条理を批判します。しかし最後には、嵐の中から神様が直接にヨブに語りかけます。ヨブはまさにこの時を待っていたのです。彼は神の声を聴くとすっかりおとなしくなって、素直に自己批判をするのです。なお、神様はこの時、友人たちの「天罰」論を否定しています。

 

 聖書学者の浅野順一は「ヨブ記」の解説書(岩波新書)の中で、神の摂理を刺繍の裏表になぞらえる聖アウグスティヌスの説明を紹介しています。人間は刺繍を裏からしか見ることができないので、何が何だか訳が分からない。しかし、神様の表の側から見ると刺繍はすばらしく美しい世界を表わしているのだ、というわけです。つまり、人間にとって神さまの摂理を完全に理解することは不可能なのです。だから、人間がするべきことは、神さまを信頼して神さまの導きを願いながら、神の子キリストの教えを学びながら出来る限りの努力を続けることしかない、のではないでしょうか。

 

 キリストの教会は、社会に対して開かれた共同体です。より多くの方々が、私たちのカトリック藤が丘教会の門を叩かれることを、お待ちしています。興味を持たれた方は、ぜひ日曜日のミサを覗きにいらして下さい。

 

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よき便り 2016年1月

12月 29th, 2015   •   no comments   

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2016年1月 カトリック藤が丘教会

 

よき便り(2016年1月)

 

「ユダヤ教とキリスト教」

あけまして、おめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 

  先月の「よき便り」で、イエス・キリストがユダヤ教の文化の中で生まれた、と書きました。それではユダヤ教とキリスト教の関係はどのようなものなのでしょうか。カトリック教会の待降節第一主日(今年は11月29日でした)のミサの中で歌われた答唱詩篇137番は、その関係を端的に表しています。答唱詩篇は、ミサで聖書の第一朗読と第二朗読の間に歌われるものです。詩篇とは旧約聖書の中の宗教詩集です。ミサではその一部を聖歌隊が歌い、会衆一同は詩篇の言葉を聞いて味わいながら、これに応答して答唱(下の太字の部分)を歌います。

 

全ての人の救いを願い、私はあなたを待ち望む

神よ、あなたの道を示し、その小道を教えてください

あなたの真理のうちに、私をさとしてください

 

全ての人の救いを願い、私はあなたを待ち望む

神は憐れみ深く正義に満ち、罪びとに道を示される

神は貧しい人を正義に導き、へりくだる人にその道を教えられる

 

全ての人の救いを願い、私はあなたを待ち望む

契約とさとしを守る人に、神への小道はいつくしみとまことにあふれる

神を畏れる人に神は心を開き、契約を示し、さとされる

 

 詩篇の部分はユダヤ教の教えの精髄を示していますが、キリスト教はそれを受け継ぎました。しかし、ユダヤ教は民族宗教ですから、一人ひとりの信者と民族の救いを願うものの、全ての人の救いを願いはしなかったのです。これに対してイエス・キリストは新約聖書の福音書に記されているように、神のいつくしみが全ての人に及ぶことを告げました。答唱にあるあなたとは、神の子であるイエス・キリストのことです。真の救い主イエス・キリストによって、唯一の神の恵みと慈しみは、全人類に開かれた、と信じるのがキリスト教なのです。

 

 ところで、12月6日の黙想講話において大分教区の平田直神父はマハトマ・ガンジーの次のような言葉を紹介されました。「私はイエス・キリストが大好きだ。しかしキリスト信者は好きではない。それは、キリスト信者がキリストのようではないからだ」と。これは本当に厳しい言葉です。私たちキリスト信者は自分たちの幸せばかりを考えて、私たち自身が「キリストにならって」神さまの愛と慈しみを全ての人に分かち合うことを、忘れがちなのではないでしょうか。新しい年の初めにあたって、私たちはそのような自省から歩み出そうと思います。

 

キリストの教会は、社会に対して開かれた共同体です。より多くの方々が、私たちのカトリック藤が丘教会の門を叩かれることを、お待ちしています。興味をもたれた方は、ぜひ日曜日のミサを覗きにいらしてください。

 

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