巻頭言2014年9月

9月 5th, 2014   •   コメントは受け付けていません。   

カトリック藤が丘教会へようこそ

Welcome to Fujigaoka Catholic Church!

2014年9月 カトリック藤が丘教会

 

イエスは「神の国」の到来を福音として伝え、貧しい大衆にも「救い」への希望と生きる勇気を与えました。また、重病に罹って罪人の烙印を押された人々を治癒して、神の恵みの力を示しました。福音書にはイエスによる病気の治癒の例が数多く記されています。イエスの言動は、当時のユダヤ教指導者たちの律法主義と祭儀主義に真っ向から対立し、本当の「救い」が何であるかを人々に体験させるものでした。そのため、人々のあいだに驚きと憧れが広がり、多くの人々がイエスを求めて集まってきます。

このような状況の中で、イエスの愛弟子のあいだに「自分たちの中で誰が一番偉いのか」という問題をめぐって口論が発生します。これを聞いたイエスは弟子たちを諭し、「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、一番上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい」(マルコによる福音書、10・43,44)と言われます。

イエスはさらに続けて「人の子(自分)は仕えられるためではなく、仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるためにきたのである」(同上、10・45)と言われます。イエスはこのような表現で、自分の使命を宣言したのでした。この言葉が語られたのは、イエスと弟子たちがエルサレムに入る直前のことであり、それまでにイエスは弟子たちに、自分が殺されて、その3日後に復活する、と3度も予告していました。

しかし「多くの人の身代金として自分の命を献げる」とは、どういうことでしょうか。人間は皆、自分こそという根深い自己中心の現実を抱えています。聖書の世界ではそれを「罪」と呼んでいます。その状態のままでは人間に本当の「救い」はありません。しかし、父なる神は、このような人間たちに「救い」をもたらすために、イエス・キリストをこの世に遣わされたのです。そのような父なる神の意図に沿ってイエスは、「罪に捕らわれた」わたしたちを「罪」から解放するために、「身代金として」自らの命を差し出します。聖書ではこのことを「贖罪」と呼び、次のように要約しています。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネによる福音書、3・16)

キリストの教会は、社会に対して開かれた共同体です。より多くの方々が、私たちのカトリック藤が丘教会の門を叩かれることを、お待ちしています。興味を持たれた方は、ぜひ日曜日のミサを覗きにいらして下さい。

ミサのご案内
Mass Everyday

主日のミサ 土曜日 Sat 17:00
日曜日 Sun 9:30

平日ミサの日時につきましては教会事務所までお問い合わせ下さい。

 

所在地
Address
東急田園都市線「藤が丘」駅下車、徒歩約7分 横浜市青葉区柿の木台1-2
<お問合せ> 教会事務所 (045)973-4100 FAX(045)979-0506

 

巻頭言2014年8月

8月 30th, 2014   •   コメントは受け付けていません。   

カトリック藤が丘教会へようこそ

Welcome to Fujigaoka Catholic Church!

2014年8月 カトリック藤が丘教会

 

先月の続きです。「神の恵みの支配」の到来を告げるイエスの宣教活動は、病に苦しむ人々の治癒から始められました。イエスはまた、貧困にあえぐ人々を深く憐れみ、彼らに救いへの希望と生きる勇気を与えました。イエスの時代のユダヤ教においては、神殿に詣でて生贄をささげることと、厳しい律法を守ることは、当然の義務とされていました。しかし、人口の大部分を占める貧しい人々は、日々食べていくだけで精一杯で、律法を守ることも、神殿に生贄をささげることもできず、支配層からは「塵の民」とさげすまれて呼ばれていました。

 

『マタイ福音書』9章36節では、「群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、(イエスが)深く憐れまれた」と書かれています。イエスはこのような貧しく、虐げられた人々をこそ招くのです。イエスの山上の垂訓の中には「心の貧しい人々は幸いである。天の国はその人たちのものである」という有名な言葉があります。「心の貧しい人」と訳されている言葉は、聖書本来の記述に立ち帰ってみると、「『プネウマ』つまり『神の息吹』に欠乏していると決めつけられている人」という意味です。この言葉に込められたイエスの意図は、「神の息吹を受けていない」とバカにされている貧しい人たちこそが、神の恵みを受けることができる、という宣言なのです。

 

またイエスは「疲れた者、重荷を負うものは、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、私の軛を負い、私に学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる」(『マタイ福音書』11章28・29節)と言います。イエスは「律法主義の拘束」と対比して「わたしの軛」というのですが、その意味は何でしょうか。それはイエスと同じように「全能の父なる神」を愛し、その導きに完全に信頼し、その恵みを得て本当に謙虚になり、「隣人を自分と同じように愛する」生き方を生き通す、ということではないでしょうか。

 

キリストの教会は、社会に対して開かれた共同体です。より多くの方々が、私たちのカトリック藤が丘教会の門を叩かれることを、期待しております。興味を持たれた方は、ぜひ日曜日のミサを覗きにいらして下さい。お待ちしています。

 

ミサのご案内
Mass Everyday

主日のミサ 土曜日 Sat 17:00
日曜日 Sun 9:30

平日ミサの日時につきましては教会事務所までお問い合わせ下さい。

 

所在地
Address
東急田園都市線「藤が丘」駅下車、徒歩約7分 横浜市青葉区柿の木台1-2
<お問合せ> 教会事務所 (045)973-4100 FAX(045)979-0506

保護中: 平日ミサ時間(2013/1/7~1/11)

4月 25th, 2012   •   コメントは受け付けていません。   

このコンテンツはパスワードで保護されています。閲覧するには以下にパスワードを入力してください。

Page 15 of 16« First...10«1213141516»