巻頭言2014年12月

12月 2nd, 2014   •   巻頭言2014年12月 はコメントを受け付けていません。   

 

 

カトリック藤が丘教会へようこそ

Welcome to Fujigaoka Catholic Church!

                         2014年12月カトリック藤が丘教会

 先月の続きです。いわゆる「放蕩息子の譬話」(「ルカによる福音書」15章、11~32)の中での二人の息子のうち、兄の方は父に忠実に仕えて勤勉に正しい生活を送ってきました。彼は、弟を赦すことができず、弟に対する父の処遇に納得できません。兄は次のように言います。「あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる」。何たることか。兄の気持ちは、私たちにも良く解ります。しかし、父は兄を諭して言います。「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに、見つかったのだ」と。

先月も申しましたように、ここでは人間を赦す神の姿が描かれています。放縦と自己中心主義の愚かさに気づいて心底悔い改め、生まれ変わって神のもとに帰ってきた人を、神様は喜んで赦されるのです。ところが、自分の正しさを主張するばかりで、人を赦す愛をもたなくなった人は、神様が罪びとを赦されることを不満に思ってしまいます。しかし、罪のない完全無欠な人間などは存在しません。人は誰でも多かれ少なかれ、罪によって穢れています。ところが人は、しばしば傲慢の罪に陥り、自分よりひどい罪を犯したと思われる人を見下してしまいます。これもまた、人間の弱さから生れる罪なのです。

私たちはこの譬話を通して、神さまの大いなる「赦す愛」について知ることができました。それと同時に私たちは、この譬話の中の兄のようにならないようにしたいものです。それよりも、自分の恩知らず、薄情、愛の無さを神様に赦していただいて、より良く生きるようにしましょう。

キリストの教会は、社会に対して開かれた共同体です。より多くの方々が、わたしたちのカトリック藤が丘教会の門を叩かれることを、お待ちしています。興味を持たれた方は、ぜひ日曜日のミサを覗きにいらして下さい。

 

ミサのご案内
Mass Everyday

主日のミサ 土曜日 Sat 17:00
日曜日 Sun 9:30

平日ミサの日時につきましては教会事務所までお問い合わせ下さい。

 

所在地
Address
東急田園都市線「藤が丘」駅下車、徒歩約7分 横浜市青葉区柿の木台1-2
<お問合せ> 教会事務所 (045)973-4100 FAX(045)979-0506

 

巻頭言2014年11月

10月 27th, 2014   •   巻頭言2014年11月 はコメントを受け付けていません。   

カトリック藤が丘教会へようこそ

Welcome to Fujigaoka Catholic Church!

                         2014年11月カトリック藤が丘教会

「神の支配の到来」を人々に告げるとき、イエスは「愛すること」と同時に「ゆるすこと」を強く訴えています。「神のゆるし」については、イエスが語ったいわゆる「放蕩息子のたとえ話」が有名です(『ルカによる福音書』15章11節~)。次のようなストーリーです。

ある金持ちに二人の息子がいました。弟の方は、父親からもらった相続分を金に換えて旅立ち、放蕩の限りを尽くして、すべてを失ってしまいました。弟は困窮の果てに我に返り、父親に謝罪してその使用人として雇ってもらおうとします。彼は「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません」と言います。ところが、父親は息子に走り寄って抱擁し、きれいに身づくろいをさせたうえで、肥えた子牛を屠って弟のために歓迎パーティーを催したのです。

たとえ話のこの部分でイエスは、人間をゆるす神の姿を伝えています。しかし、ここで気をつけなければならないのは、「ゆるし」の前提に、弟の心からの悔い改めがあるということです。父は弟のことを慈しみ、ずっと心配していたのに、弟は父に背を向け、身勝手に振る舞い続けました。その思いと行動が「罪」なのです。イエスは父親と弟との関係を、父なる神と人間の関係にたとえて語っています。つまり、父なる神は人間をずっと慈しみ、心配しているのに、人間は感謝を忘れて、どうしても自己中心な生き方をしてしまいます。そういう「罪」を心から悔い改めることが「回心」です。そして「回心」した人びとを、神様は両手を広げて受け入れてくださる、とイエスは教えさとすのです。

ところで、この譬話には兄の言動を扱った後半部分があり、それがまた重要なメッセージを含んでいます。これについては、次回考えましょう。

キリストの教会は、社会に対して開かれた共同体です。より多くの方々が、わたしたちのカトリック藤が丘教会の門を叩かれることを、お待ちしています。興味を持たれた方は、ぜひ日曜日のミサを覗きにいらしてください。

 

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巻頭言2014年10月

9月 29th, 2014   •   巻頭言2014年10月 はコメントを受け付けていません。   

カトリック藤が丘教会へようこそ

Welcome to Fujigaoka Catholic Church!

2014年10月 カトリック藤が丘教会

 

キリスト教は「愛の宗教」と呼ばれますが、それはイエスご自身が「神の支配の到来」を告げながら「心を尽くして神と隣人を愛しなさい」と教えたことに由来するからです。

それでは「隣人を愛する」とは具体的にどういうことでしょうか。イエスはそれを、次のような「善いサマリア人」のたとえ話で説き明かされました。ある人が旅の途中で追剥に遭い、服を剥ぎとられて半殺しの状態で放置されました。そこを通りかかったユダヤ教の司祭は見て見ぬふりをして立ち去りました。

ところが、ユダヤ人にとっては敵であるはずのサマリア人は、そこを通りかかると、近寄って手当てし、宿屋に連れて行って介抱しました。そして翌日、そのサマリア人は宿屋の主人に大金を渡して、その被害者の面倒を見てくれるよう頼んで立ち去った、というのです(『ルカによる福音書』10章)。

当時のユダヤ人にとって、ユダヤ人以外の人が「隣人」になるとは想像もつかないことでした。しかしイエスは、敵であるはずのサマリア人が、瀕死のユダヤ人を助けて「隣人になる」ことを教えたのです。ここで示されるように「隣人愛」とは、人を「好き」になるという感情のことではありません。

キリスト教が説く「愛」とは、私情や私心を離れて「相手を大切にする」ことを意味しています。だから、イエスは「敵を愛し、自分を迫害するもののために祈りなさい」(マタイ福音書5・44)とさえ言うのです。

イエスは「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネ福音書15・13)と言いますが、イエスご自身は父なる神の御旨に従って、人々の罪を贖うために十字架に付けられて死んだのです(そして復活しました)。

イエスは弟子たちに言いました。「父が私を愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。・・・私があなたがたを愛したように、互いに愛しあいなさい」(ヨハネ福音書15・9,12)と。私たちはお互いを大切に慈しみ、また隣人を大切に慈しみ、そのことを通して、神の大いなる愛と恵みを人々に告げ知らせていこうではありませんか。

キリストの教会は、社会に対して開かれた共同体です。より多くの方々が、私たちのカトリック藤が丘教会の門を叩かれることを、お待ちしています。興味を持たれた方は、ぜひ日曜日のミサを覗きにいらして下さい。

 

 

 

 

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