2019年9月巻頭言

8月 28th, 2019   •   no comments   

 

 

カトリック藤が丘教会へようこそ

Welcome to Fujigaoka Catholic Church!

                                                 

            2019年9月      

よき便り    

立ち返ってくる人を神さまは祝福される

 

今年の年間第24主日の福音書朗読は、ルカによる福音書から「見失った羊」「無くした銀貨」「放蕩息子」の3つのたとえが読まれます。(ルカによる福音書15章)このうち「見失った羊」のたとえは、6月に行われたイエスのみ心の祭日に読まれた福音書朗読の個所です。この部分は6月に「善き牧者イエス」として紹介しました。

 

さて、ここで読まれる福音書の3つのたとえに共通しているテーマは、「いったん失ってしまったものが見つかる」ということです。見失った羊の個所では、羊飼いはすでに聞き従っている羊たちを残してでも、迷っている羊を探しに行き、探し出し、抱き上げ、迎え入れて喜びました。無くした銀貨 のたとえでも同様です。ある女は、見失った銀貨を探して見つけ、見つかったことを喜ぶのです。羊飼いや女は神さまを表しており、見つけ出されるものは神さまから離れてしまった人を暗示しています。

 

こうした短い2つのたとえの後に話されるのが、放蕩息子のたとえです。父親から分け与えられた財産を手にして離れて行ってしまった息子が、放蕩の限りを尽くして無一文になります。そうなって初めて自分のしてきたことを反省し、父親のもとに帰ると決めたのでした。それもただ戻って息子として過ごそうとするのではなく、雇い人として使ってもらおうと決心して戻っていくのでした。

 

父親は遠くに帰ってきた息子を見つけ、駆け寄って抱き、新たな服を着せ、ただただ無事に戻ってきたことを祝います。しかし、父親の下で不自由なく暮らしてきた兄は、こうした父親のやり方は面白くありません。放蕩の限りを尽くして無一文になってきた弟に、着るものを着せ、着飾り、さらに祝宴まで開いたとあっては、無理もありません。不満を爆発させてしまいます。そんな不満に対して、父親は次のように諭すのでした。

 

「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。」(ルカによる福音書15・31〜32)

 

この父親の言葉こそ、神さまの思いの表れです。いつもともにいる人には必要なものを与え続け、放蕩息子のようにいったんは神さまのもとから離れてしまった人であっても、神さまのもとに立ち返ろうとするならば、それを喜び、いつもともにいる人と同様に当たり前のこととして手を差し伸べるのです。

 

神さまと出会う時は人それぞれですが、神さまのもとに立ち返ろうとする人にはいつでも祝福をあたえてくださる。そんな神さまの思いを胸に歩み続けてまいりましょう。

キリストの教会は社会に開かれた共同体です。より多くの人々がわたしたちのカトリック藤が丘教会の扉をたたかれることをお待ちしております。興味を持たれた方は是非日曜日のミサにいらして下さい。

 

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ミサのご案内 Mass Schedule

主日のミサ 土曜日 Sat   17:00
日曜日 Sun   10:00

※5月12日から日曜のミサ開始時刻が9時半から10時へ変更になりました。

平日ミサの日時につきましては教会事務所までお問い合わせ下さい。

所在地 Address 東急田園都市線「藤が丘」駅下車、徒歩約7分 横浜市青葉区柿の木台1-2

<お問合せ> 教会事務所 (045)973-4100 FAX(045)979-0506

 お問い合わせ・ご質問は、教会事務所までご連絡ください

火曜日~金曜日   午前10時~午後4時

土曜日       午前10時~午後17時30分

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※都合により、事務所スタッフが不在の場合もございます。あらかじめご了承ください

2019年8月巻頭言

7月 30th, 2019   •   no comments   

 

 

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            2019年8月      

よき便り    

 

──神さまの前に豊かに生きる──

 

8月の福音書朗読は、ルカによる福音書の中からイエスが弟子たちに、神さまに対する姿勢、すなわち信仰のあり方について示すたとえ話が続きます。

 

豊作だった作物を倉を大きくして貯め込む「愚かな金持ち」のたとえの個所では、金持ちが「これから先何年も生きていく蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」とほくそ笑みます。そんな金持ちに神さまは「愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったい誰のものになるのか」と言われると、イエスは弟子たちに話します。(ルカによる福音書12・20)

 

金持ちは、確かに多くの収穫を得ましたが、それは金持ち一人だけが頑張った結果でしょうか? 多くの小作人の働きがあり、さらには豊かな天候の恵みもあったのではないでしょうか? 働き手がこの世に生まれてきたことすらも、神さまからの豊かな恵みにほかなりません。金持ちは、自分の満足のために、自分の都合で生きてきたと思い込んでいますが、実は神さまの恵みのうちに生かされてきたのでした。

 

そのたとえに続く、夜通し主人を待って「目を覚ましている僕」のたとえの個所では、イエスは「主人が帰ってきたとき、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。はっきり言っておくが、主人は帯を締めて、この僕たちを食事の席に着かせ、そばに来て給仕してくれる」(ルカによる福音書12・37)と話します。

 

イエスは「主人」という神さまが帰ってきた時に「目を覚ましているのを見られる僕たちは幸い」と表現します。自分の都合で好き勝手に寝てしまうのではなく、神さまがいつ呼びかけられても良いように、自ら準備しているような生き方を選んでいく人に、神さまは生きる糧を与えてくださると話したのでした。

 

わたしたちは、自分の思いではどうにもならないときに、「苦しい時の神頼み」とか「神のみぞ知る」と表現します。こう表現しながら、自分ではどうにもならないものを受け容れてきたのでした。2つのたとえ話に挟まれた個所でイエスは弟子たちに話したのは、頼まれずとも神さまはあなたがたの必要なものをすべてご存知なのであるから「思い悩むな」ということでした。

 

「あなたがたのうちのだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。こんなごく小さな事さえできないのに、なぜ、ほかの事まで思い悩むのか。野原の花がどのように育つか考えてみなさい。働きもせず紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花ほどにも着飾ってはいなかった。今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことである。」(ルカによる福音書12・26〜28)

 

神さまにとってたいせつな存在のわたしたちだからこそ、必要なものは与えてくださると信じ、それぞれの恵みのうちに精一杯生きていく。さらに多くの恵みが与えられますように願いながら、過ごしてまいりましょう。

 

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巻頭言 2019年7月

6月 28th, 2019   •   no comments   

 

 

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            2019年7月      

よき便り    

 

──イエスが伝えた日々の祈り──

 

カトリックに限らず、クリスチャンにとって大切な祈りに「主の祈り」があります。祈りは、何冊も祈りの本が発刊されるほど数多くありますが、イエスが最初に弟子たちに教えた祈りが「主の祈り」でした。その時の様子が、年間第17主日の福音朗読で語られます。

 

イエスはある所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」と言った。

そこで、イエスは言われた。「祈る時には、こう言いなさい。

『父よ、

御名が崇められますように。

御国が来ますように。

わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。

わたしたちの罪を赦してください、

わたしたちも自分に負い目のある人を皆赦しますから。

わたしたちを誘惑に遭わせないでください。』」

(ルカによる福音書11・1〜4)

 

このシーンは、マタイによる福音書にも書かれていますが、文言が追加されて現在の「主の祈り」の形に近くなっています。福音記者のルカが書き記したものは、「主の祈り」の原型とも言えるものです。

 

さて、何かを祈ろうとするとき、わたしたちはつい「(わたしが)こうなりますように」「(わたしのために)こうしてください」と祈ってしまいます。しかしイエスは、「わたしに必要な糧を……」「わたしの罪を赦して……」「わたしを誘惑に遭わせないで……」とは言いませんでした。わたし個人のために自分本位に好き勝手に祈るのではなく、「わたしたち」一人ひとり全員のために祈りなさいと伝えたのでした。

 

そんな祈りの姿勢を伝えたイエスでも、受難に向かう前のオリーブ山での最後の祈りにおいては、「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。」(ルカによる福音書22・42)と自分のために祈りました。神さまと一体であるイエスも、受難に向かう前とあっては、自分のために祈らざるを得なかったのでしょう。だからこそ、わたしたちが困難な状況に向かう時、試練のさなかにある時、自分のために祈ることは仕方のないことなのです。イエスは自分の祈りの後に次のように続け、神さまにすべてを委ねたのでした。

 

「しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。」

主の祈りを唱えるわたしたちは、神さまにとってたいせつな存在であるからこそ、わたしたち自らすべての人のために祈ります。それは、神さまの御心に、わたしたち自身を委ねていく祈りでもあるのです。

 

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