巻頭言2015年2月

1月 31st, 2015   •   巻頭言2015年2月 はコメントを受け付けていません。   

カトリック藤が丘教会へようこそ

Welcome to Fujigaoka Catholic Church!

2015年2月 カトリック藤が丘教会

今から20年前の1月17日早朝、阪神淡路大震災が起こりました。6千人を超える方が亡くなり、約25万棟が全半壊し、都市インフラが長期に亘って麻痺し、30万人を超える方々が避難した直下型地震でした。しかし間もなく、大規模な救済ボランティア活動が始まり、全国から巨額の見舞金が集まり、復興が始まりました。

あれから20年。都市の姿はかなり変わりましたが、この地域は完全に復興しました。復興への被災者の方々の歩みは、行政側の努力だけではなく、全国の方々の支援と励まし、そしてたくさんの祈りによって支えられてきました。

私たちの教会の中にも何人かの被災者がおられますが、1月17、18日の日本全国のカトリック教会のミサは、この震災で被害に遭われた方々のために捧げられました。私たちはこの方々のために神に祈り、この方々の心に寄り添いました。

 

先月の続きです。新共同訳聖書の中の「主の祈り」は、次の通りです(『マタイによる福音書』6:9~13)

「天におられるわたしたちの父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。御心が行われますように、天におけるように地の上にも。わたしたちに必要な糧を今日与えてください。私たちの負い目を赦して下さい。わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように。わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください」。

「主の祈り」の後半では、わたしたちの「救い」の根本が嘆願の形で示されます。先ず注意すべきは、「わたしの」ではなく「わたしたちの救い」が父である神に嘆願されることです。「わたしたち」というのは、神によって造られ、神から与えられた生命にともに結ばれ、互いに助け合って生きるべき存在としての「わたしたち」であり、それは時には見知らぬ「わたしたち」の被災者や、地球の裏側で食糧難に喘ぐ「わたしたち」の他国の同胞をも含んでいるのです。そして「わたしたち」が利己主義や絶望という誘惑に陥ることなく、互いに赦しあって生きていけるように、わたしたちはいつも神に祈るように招かれているのです。

キリストの教会は、社会に対して開かれた共同体です。より多くの方々が、わたしたちのカトリック藤が丘教会の門を叩かれることを、お待ちしています。興味を持たれた方は、ぜひ日曜日のミサを覗きにいらして下さい。

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ミサのご案内
Mass Everyday

主日のミサ 土曜日 Sat 17:00
日曜日 Sun 9:30

平日ミサの日時につきましては教会事務所までお問い合わせ下さい。

 

所在地
Address
東急田園都市線「藤が丘」駅下車、徒歩約7分 横浜市青葉区柿の木台1-2
<お問合せ> 教会事務所 (045)973-4100 FAX(045)979-0506

巻頭言2015年1月

12月 31st, 2014   •   巻頭言2015年1月 はコメントを受け付けていません。   

カトリック藤が丘教会へようこそ

Welcome to Fujigaoka Catholic Church!

                 2015年1月カトリック藤が丘教会

 

新年おめでとうございます。今年も昨年から始まった「キリスト教のエッセンス」の学びを続けていきたいと思います。

イエスは、あるとき弟子たちから「どう祈ったらいいのか、教えてください」と乞われ、後に「主の祈り」と呼ばれるようになった祈りを教えました。――次のようなものです。

「天におられるわたしたちの父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。御心が行われますように、天におけるように地の上にも。わたしたちに必要な糧を今日与えてください。わたしたちの負い目を赦して下さい、わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように。わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください」『マタイによる福音書』6:9~13。

この「主の祈り」は二つの部分に分けられます。前半では、神を賛美し、神の御心が行われることを祈ります。後半では私たちの「救い」の根本が嘆願の形で示されます。

前半部分でまず注目するべきは、イエスが私たちに、神を「わたしたちの父」と呼ぶよう教えたことです。主なる神はイエスを「愛する子」と呼び(『マタイ』3:17など)、イエスは主なる神に「アッバ、父よ」と語りかけて祈りを捧げました『マルコ』14:36。「アッバ」というのは現代風に言うと「パパ」に相当する呼び方です。主なる神とイエスの間にはこのように極めて親しく深い交わりがあるのですが、イエスは自分につき従う者たちにも、主なる神を「父」と呼びかけさせるのです。しかし、わたしたちは個々人として神に結ばれるのではありません。わたしたちは「父なる神」から与えられた命に共に結ばれ、「父なる神」の愛によって共に育まれていく、いわば共同体の成員なのです。ですからイエスは、「わたしの」ではなく「わたしたちの父」と呼びかけるよう、教えるのです。

「御名が崇められますように」というのは、神が人間の願望の手段として利用されるのではなく、神が神としてあがめられるように、という祈りです。「御国が来ますように」というのは「神の国」すなわち「神の恵みが支配する領域」が実現していきますように、という願いの祈りです。その祈りは「御心が行われますように、天におけるように地の上にも」と繰り返して表明されます。「主の祈り」の後半部分については、次回に考えましょう。

キリストの教会は、社会に対して開かれた共同体です。より多くの方々が、わたしたちのカトリック藤が丘教会の門を叩かれることを、お待ちしています。興味を持たれた方は、ぜひ日曜日のミサを覗きにいらして下さい。

 

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日曜日 Sun 9:30

平日ミサの日時につきましては教会事務所までお問い合わせ下さい。

 

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巻頭言2014年12月

12月 2nd, 2014   •   巻頭言2014年12月 はコメントを受け付けていません。   

 

 

カトリック藤が丘教会へようこそ

Welcome to Fujigaoka Catholic Church!

                         2014年12月カトリック藤が丘教会

 先月の続きです。いわゆる「放蕩息子の譬話」(「ルカによる福音書」15章、11~32)の中での二人の息子のうち、兄の方は父に忠実に仕えて勤勉に正しい生活を送ってきました。彼は、弟を赦すことができず、弟に対する父の処遇に納得できません。兄は次のように言います。「あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる」。何たることか。兄の気持ちは、私たちにも良く解ります。しかし、父は兄を諭して言います。「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに、見つかったのだ」と。

先月も申しましたように、ここでは人間を赦す神の姿が描かれています。放縦と自己中心主義の愚かさに気づいて心底悔い改め、生まれ変わって神のもとに帰ってきた人を、神様は喜んで赦されるのです。ところが、自分の正しさを主張するばかりで、人を赦す愛をもたなくなった人は、神様が罪びとを赦されることを不満に思ってしまいます。しかし、罪のない完全無欠な人間などは存在しません。人は誰でも多かれ少なかれ、罪によって穢れています。ところが人は、しばしば傲慢の罪に陥り、自分よりひどい罪を犯したと思われる人を見下してしまいます。これもまた、人間の弱さから生れる罪なのです。

私たちはこの譬話を通して、神さまの大いなる「赦す愛」について知ることができました。それと同時に私たちは、この譬話の中の兄のようにならないようにしたいものです。それよりも、自分の恩知らず、薄情、愛の無さを神様に赦していただいて、より良く生きるようにしましょう。

キリストの教会は、社会に対して開かれた共同体です。より多くの方々が、わたしたちのカトリック藤が丘教会の門を叩かれることを、お待ちしています。興味を持たれた方は、ぜひ日曜日のミサを覗きにいらして下さい。

 

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平日ミサの日時につきましては教会事務所までお問い合わせ下さい。

 

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