よき便り 4月

3月 30th, 2016   •   no comments   

カトリック藤が丘教会へようこそ

Welcome to Fujigaoka Catholic Church!      

2016年4月カトリック藤が丘教会

 

よき便り(2016年4月)

ハッピー・イースター(復活祭)

 毎年の12月25日は「イエスの誕生」を祝う祝祭日ですが、キリスト信者にとって、それ以上に重要な祝祭日が「復活の主日」です。今年は3月27日に、世界中のキリスト信者が「イエスの復活」を祝いました。使徒パウロが言ったように「キリストが復活しなかったのなら、私たちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です」(コリント人への第1の手紙15:14)。何故ならイエスは、復活しなかったならば、単なるユダヤ教の預言者たちの一人にすぎなかった、とみなされても仕方がないからです。実際、『旧約聖書』によると、ユダヤ教の歴史の中では、人びとが堕落に落ち込んでいくたびに預言者が現れて、神に立ち返るべきことを訴え、当時の支配者たちによって迫害されたのです。しかし、イエス・キリストは預言者たちとは違って、父なる神によって復活させられました。

 

 イエスはユダヤ教の「過ぎ越し祭」の翌日の金曜日に十字架に付けられて死にましたが、3日後の日曜日に、父なる神によって復活させられました。現代に生きる私たちは、イエスを見ることも、その復活を証言することも出来ません。(それが可能となるのは、この世の終りにおいてであると言われます)。しかし、4つの福音書によれば、イエスは確かに彼に従った女たちや弟子たちの前に現れて、会話し、一緒に食事をした、といわれます。私たちには、直ちには信じがたいことです。しかし、イエスが捕えられた時に逃げ隠れした弱いイエスの弟子たちが、復活イエスに出会ったのちに、命を懸けて宣教活動に邁進する強い人々に変えられた事実をみれば、イエスの復活を信じることが出来るでしょう。

 

 「復活」とは「肉体的な蘇生」の意味ではありません。主イエスは、私たちの日常的な世界を超えた形で、いわば霊的に、弟子たちの前に現れたのでしょう。これは、科学的検証を超えたことがらですが、決して科学に反することではありません。信仰の領域のことがらは自然科学とは別の次元の問題なのです。例えば、宇宙科学者たちは「宇宙が何で出来ているか」を探求していますが、「宇宙は何故生まれたのか」とは問いません。宇宙には始まりがあって、それは「ビッグ・バン」と呼ばれていますが、その「ビッグ・バン」がなぜ起こったのかは、そもそも科学的考察の及ばない問題だからです。だから、宇宙科学者の中には無神論者もいれば、有神論者もいるのです。そして私たちキリスト信者は、万物の根源が神によって創られ、この世が神の測り難い摂理によって動いている、と信じるのです。しかしイエスは、神が私たちを超越した存在ではない、と説きました。私たちは、キリストを通して神の御旨を知ることができるのです。

 

 繰り返しますが、「キリストの復活」は、あり得ないことではないのです。そして、私たちキリスト信者は、「キリストの復活」に賭けるのです。私たちは、イエス・キリストを通して開かれる「愛と赦しと救いへの道」を、同じ信仰を持つ仲間と共に、この世のいろいろな苦労を背負いながら、強く歩んで行こうとしています。

 

 キリストの教会は、社会に対して開かれた共同体です。より多くの方々が、私たちのカトリック藤が丘教会の門を叩かれることを、お待ちしています。興味を持たれた方は、ぜひ日曜日のミサを覗きにいらして下さい。

過去の巻頭言・よき便り一覧はコチラから閲覧できます.

ミサのご案内 Mass Everyday

主日のミサ 土曜日 Sat 17:00
日曜日 Sun 9:30

平日ミサの日時につきましては教会事務所までお問い合わせ下さい。

所在地 Address 東急田園都市線「藤が丘」駅下車、徒歩約7分 横浜市青葉区柿の木台1-2

<お問合せ> 教会事務所 (045)973-4100 FAX(045)979-0506

お問い合わせ・ご質問は、教会事務所までご連絡ください

火曜日~金曜日   午前10時~午後4時

土曜日       午前10時~午後17時30分

日曜日       午前10時~午後1時

※都合により、事務所スタッフが不在の場合もございます。あらかじめご了承

 

よき便り 2016年3月

2月 27th, 2016   •   no comments   

  カトリック藤が丘教会へようこそ

Welcome to Fujigaoka Catholic Church!      

2016年3月カトリック藤が丘教会

よき便り(2016年3月)

「イエスの死と復活」

 新約聖書の4つの福音書で詳しく描かれているように、イエスは様々な癒しの「わざ」を行ないながら「神の国の到来」という福音を説いてまわりました。そして、最後にユダヤ人の「過ぎ越し祭」の時期に合わせて、エルサレムに入りました。しかし、イエスから厳しい批判を浴びていた当時のユダヤ教の指導者たちは、イエスを捕えてローマ総督ピラトのもとに差し出し、まんまと「ローマ皇帝への反逆者」として十字架刑に処することに成功します。十字架刑は、極悪人に対して執行される残酷な刑罰でした。身体を十字架に打ち付けて、生殺しにされるのですから、受刑者の苦しみは筆舌に尽くしがたいものです。

 

 「マルコによる福音書」第15章によると、イエスは朝9時ごろに十字架につけられますが、12時には全地が暗くなり、それが午後3時まで続きました。午後3時にイエスは「私の神、私の神、なぜ私をお見捨てになったのですか」と叫びました。これは一見、絶望の叫びのように見えます。しかし、そうではありません。

 

 この句は、旧約聖書の「詩篇」22章の冒頭の句と同じです。22章は、主なる神を賛美するダビデの賛歌であって、人間の悲惨さの認識から始まり、最後には全知、全能、全善の神への全面的な信頼の祈りに昇華されていきます。実際、「ルカによる福音書」23章ではイエスは「父よ、私の霊を御手にゆだねます」と言って息を引き取られた、とありますが、これは「詩篇」31章6節の句と同じです。イエスは自らの心情を、詩篇のこのような部分の心情と重ね合わせたのです。

 

 先月の「よき便り」で私たちは「ヨブ記」について考えましたが、お気づきのように、「ヨブ記」の構造とイエスの十字架上の祈りの構造は同じなのです。イエスは神でありながら人間の姿をとられたのですが、人間としてイエスはもちろん、全く罪のない方でした。そのイエスが無実の罪で残酷な十字架刑につけられるというのは、全くの不条理です。ヨブもイエスも、最初はその不条理に対して抗議しながらも、最後には自らの運命を神のみ旨に委ねたのです。ではイエスの十字架刑による死には、父なる神のどのような意図が隠されていたのでしょうか。

 

 イエスの十字架上の死の一つの目的は、全く罪のないイエスが自らを犠牲に供することによって、人類の罪を贖うことにありました。このことをイエス御自身は次のように言い表しています。「人の子(私)は、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」(マルコによる福音書、10章45節)と。イエスはこれによって、神の大いなる愛を示したのです。

 

 そして、もうひとつの目的は、神みずからがイエスを復活させることにあったのです。イエスの復活の意味については、来月に改めて取り上げますが、死後3日目にイエスは父なる神によって復活させられました。イエスは肉体的に蘇生したわけではありませんが、イエスの弟子たちはイエスの「復活」を確認しました。これは、逃亡した弱い弟子たちが、イエスの「復活」を体験した後に変えられ、命を惜しまず困難な宣教の事業を果たした事実によって、推察されます。そしてイエスの復活は、イエスを信じるキリスト信者の復活を保証しています。パウロは言います。「主イエスを復活させた神が、イエスと共に私たちをも復活させ、あなた方と一緒に御前に立たせてくださると、私たちは知っています」(コリントの信徒への第二の手紙、4章14節)と。

 

 今年は、3月27日(日)がキリストの復活の主日です。キリスト信者は皆、キリストの十字架上の死に思いを重ね、キリストの復活の喜びに浸ります。 
  キリスト教の教会は、社会に対して開かれた共同体です。より多くの方々が、私たちのカトリック藤が丘教会の門を叩かれることを、お待ちしています。
興味を持たれた方は、ぜひ日曜日のミサにお越しください。

 

 

過去の巻頭言・よき便り一覧はコチラから閲覧できます.

ミサのご案内 Mass Everyday

主日のミサ 土曜日 Sat 17:00
日曜日 Sun 9:30

平日ミサの日時につきましては教会事務所までお問い合わせ下さい。

所在地 Address 東急田園都市線「藤が丘」駅下車、徒歩約7分 横浜市青葉区柿の木台1-2

<お問合せ> 教会事務所 (045)973-4100 FAX(045)979-0506

お問い合わせ・ご質問は、教会事務所までご連絡ください

火曜日~金曜日   午前10時~午後4時

土曜日       午前10時~午後17時30分

日曜日       午前10時~午後1時

※都合により、事務所スタッフが不在の場合もございます。あらかじめご了承

よき便り 2016年2月

1月 31st, 2016   •   no comments   

 カトリック藤が丘教会へようこそ

Welcome to Fujigaoka Catholic Church!

2016年2月 カトリック藤が丘教会

よき便り(2016年2月)

「ヨブ記」と神義論

   世界では毎日のように悲惨な戦争や災害が起っています。天地の創造主であり、全知全能の神様は、なぜそのような悲惨な出来事が起るのを許されるのでしょうか。戦争やその他の人間が引き起こす悪については、人間の罪の現れだ、と説明できるかもしれません。しかし例えば、この前の東日本大震災で数多くの罪もない人々が命を奪われた事実の不条理は、どのように説明できるのでしょうか。それは誰かが言ったように、爛熟した社会で神仏を忘れて享楽的に生きる日本人に対する「天罰」なのでしょうか。

 

 この問題に関して思い出されるのは、旧約聖書の中の「ヨブ記」という長大な詩歌です。ウツの地に住むヨブは無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きていました。たくさんの子供と使用人、そして莫大な財産を持ち、貧しい人々や抑圧された人びとを助け、悪を裁き人々の指導者として尊敬されていました。ところがある日、突然に彼の子供たちがすべて殺され、すべての財産が奪われました。さらに彼は象皮病という恐ろしい病に罹り、眠ることさえできない痛みと苦しみにさいなまれます。彼の身体は衰弱して骨と皮となり、吐く息は悪臭を発し、誰も彼に近づかなくなり、彼は早く死にたいと、切実に願います。

 

 ヨブを慰めようと遠方からやってきた旧友たちは、ヨブの変わり果てた姿を見て声もかけられず、何日もヨブとともに悶え続けます。長い沈黙ののち、ヨブはこのような不条理を与えた神を訴え始めます。神への篤い信仰を持って正しく生きてきた自分がどうしてこんな目に遭わなければならないのか、と。これを聞いて友人たちは怒りはじめます。三人の友人たちとヨブは果てしなく論争を繰り広げ、それにもう一人の論客も参加します。ヨブに対する友人たちの批判点は二つです。一つは、完全に正しい人間などと言うものはないのだから、よく内省して罪を悔いあらためよ、ということ。つまり「天罰」論です。第二は、神がなさることを人間が判断するのは不遜であり、間違っているということです。だが、ヨブは批判されると余計頑なになって、自分の正しさと神の不条理を批判します。しかし最後には、嵐の中から神様が直接にヨブに語りかけます。ヨブはまさにこの時を待っていたのです。彼は神の声を聴くとすっかりおとなしくなって、素直に自己批判をするのです。なお、神様はこの時、友人たちの「天罰」論を否定しています。

 

 聖書学者の浅野順一は「ヨブ記」の解説書(岩波新書)の中で、神の摂理を刺繍の裏表になぞらえる聖アウグスティヌスの説明を紹介しています。人間は刺繍を裏からしか見ることができないので、何が何だか訳が分からない。しかし、神様の表の側から見ると刺繍はすばらしく美しい世界を表わしているのだ、というわけです。つまり、人間にとって神さまの摂理を完全に理解することは不可能なのです。だから、人間がするべきことは、神さまを信頼して神さまの導きを願いながら、神の子キリストの教えを学びながら出来る限りの努力を続けることしかない、のではないでしょうか。

 

 キリストの教会は、社会に対して開かれた共同体です。より多くの方々が、私たちのカトリック藤が丘教会の門を叩かれることを、お待ちしています。興味を持たれた方は、ぜひ日曜日のミサを覗きにいらして下さい。

 

過去の巻頭言・よき便り一覧はコチラから閲覧できます.

ミサのご案内 Mass Everyday

主日のミサ 土曜日 Sat 17:00
日曜日 Sun 9:30

平日ミサの日時につきましては教会事務所までお問い合わせ下さい。

所在地 Address 東急田園都市線「藤が丘」駅下車、徒歩約7分 横浜市青葉区柿の木台1-2

<お問合せ> 教会事務所 (045)973-4100 FAX(045)979-0506

お問い合わせ・ご質問は、教会事務所までご連絡ください

火曜日~金曜日   午前10時~午後4時

土曜日       午前10時~午後17時30分

日曜日       午前10時~午後1時

※都合により、事務所スタッフが不在の場合もございます。あらかじめご了承

 

 

Page 22 of 29« First...10«2021222324»...Last »