2019年12月巻頭言

12月 2nd, 2019   •   no comments   

 

カトリック藤が丘教会へようこそ

Welcome to Fujigaoka Catholic Church!

                                                 

            2019年12月      

よき便り    

神さまに裁かれないように歩み始めるとき

 

毎年11月末ごろからカトリックの典礼暦は新たな年を迎えると同時に、クリスマスとして『主のご降誕』を待ち望む「待降節」と呼ばれる期間に入ります。

 

いつかわたしたちが救われる時が来て欲しい。そんな思いを抱きながら日々の生活に追われているのは、ユダヤ時代の人たちも、せわしなく生きる現代のわたしたちも、同じなのかもしれません。救われる時が来て欲しいと願いながらも、「はたしてそんな時は訪れるのだろうか」「そんな時はいつ来るかも分からないし、いつ救われるかなんて考えていたって無駄なことだろう」と考えてしまう。そんなわたしたちにイエスが「目を覚ましていなさい」「用意していなさい」と弟子たちに語りかけているのは、待降節第1主日の福音書朗読です。

 

「畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。二人の女が臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである。このことをわきまえていなさい。」(マタイによる福音書24・40〜43)

 

この部分は、天の国に入ろうとする時の神さまによる裁きを暗示しています。その時に、神さまは天の国にふさわしい人を分けられるとされていますが、この個所だけを取り出して読んでしまうと、半数の人しか救われないのかと思ってしまいます。しかし、そうではありません。

 

イエスは「家の主人は、泥棒が夜のいつごろにやって来るかを知っていたら、目を覚ましていて、みすみす自分の家に押し入らせはしないだろう。」と続けます。前もって救われる時期が分かっていたら、本来は天の国に迎え入れられない人も準備していて、救われてしまうことになります。だから、準備をしていないうちに、その時は突然やって来るのだと言うのです。だからこそ、思いがけず訪れるその時に備えて、「あなたがたも用意していなさい」とイエスは話します。では、残されるはずだった人が、その時のために準備を始めたらどうなるのでしょうか。

 

準備を始めるということは、神さまの存在を意識し、天の国に迎え入れられるように努めていくということです。それも、いつその時が訪れるか分からない、その時に向かって準備し続けていくということでもあります。

 

自分がこのままでは救われないということをわきまえて、意識して準備し続けようとする時、実はその人はもう神さまとともに歩もうとしているのではないでしょうか。神さまへと立ち返ることを回心と言いますが、まさにその時を迎えているのではないでしょうか。その時に向かって用意し続けていくことが、その人にとって救いの時になっているのではありませんか?

わたしたち一人ひとりのために、そしてすべての人の救いとなるために、イエスはもっとも小さなものとして生まれてきます。その小さな光が、わたしたちそれぞれの内に留まり、しっかりと光り続けることができますよう、祈り続けていきたいと思います。

 

キリストの教会は社会に開かれた共同体です。より多くの人々がわたしたちのカトリック藤が丘教会の扉をたたかれることをお待ちしております。興味を持たれた方は是非日曜日のミサにいらして下さい。

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主日のミサ 土曜日 Sat   17:00
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<アクセス> 横浜市青葉区柿の木台1-2(東急田園都市線「藤が丘」駅下車、徒歩約7分)

<お問合せ> 教会事務所 (045)973-4100 FAX(045)979-0506

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2019年11月巻頭言

11月 7th, 2019   •   no comments   

 

 

カトリック藤が丘教会へようこそ

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            2019年11月      

よき便り    

神さまはすべての人に目を向けられる

 

 

 カトリックの典礼暦は11月末の日曜日に「王であるキリスト」を祝って終わり、待降節から新たな暦年を迎えます。暦年の終わりの月である11月は、「死者の月」として亡くなった人を思い起こし、永遠の安息を願い、いつかわたしたちもまた天の国で共に憩うことができるよう祈ります。

 さて、今年の福音書朗読は『ルカによる福音書』が中心に読まれてきました。11月はイエスが世の罪を担って十字架に付けられて死んでいくまでの出来事が読まれていきます。罪人(つみびと)として蔑まれて来た人たちさえも神さまは見捨てることがなかったということが描かれています。

 年間第31主日の福音書朗読では、ルカによる福音書の19章から『徴税人ザアカイ』の部分が読まれます。旅の途中でイエスが、徴税人の頭であるザアカイの家に泊まることにしたという話です。

 イエスが生きたユダヤ時代は、徴税人は人々からローマ皇帝への税金を集める役割を担っていました。しかし、実際は、本来の税金に必要な額以上を民衆から取り立てて、余った部分を懐に入れて私腹を肥やすので嫌われた存在でした。その徴税人の頭も同様で、数々の徴税人たちが税金として集めてきたお金を、これまた多めに徴収して懐に入れてしまう存在。徴税人は罪人で嫌われていた社会でした。

 そんな徴税人の頭であったザアカイも、イエスのことを以前から聞いていたのでしょう。ちょうど通りがかったイエスを見ようとしたのですが、背の低かったザアカイには、群衆の肩越しにさえも見ることができませんでした。それでも諦めきれずに、いちじく桑の木に登ってまで見ようとします。その存在に気付いたイエスは、ザアカイに声をかけられます。「急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」

 存在に気付いてもらえたことを喜んだザアカイは、家にイエスを迎え入れ、次のように回心を誓ったのでした。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人に施します。また、誰かからなにかを騙し取っていたら、それを四倍にして返します。」

 イエスがザアカイに目を止め、泊まりに行ったことを見ていた群衆は、口々に「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」と呟きます。「なぜあんな奴のところに」という侮蔑のあらわれです。これはザアカイに限らないことかもしれません。わたしたちは、気づかないうちに、善き人は罪深い人には関わらないだろう、罪深い人には神さまの救いなど無くて当たり前だ、罪深い人が救われることなんてあるものかと思ってはいないでしょうか?

 しかし、イエスは、そんな罪深い人の存在にも目を止められ、回心したザアカイに「今日、救いがこの家を訪れた」と伝えます。ザアカイが本当に回心して、誓った言葉を実行したかどうかは聖書は伝えていません。たいせつなことは、神さまはすべての人に目を向けられるのだということ、そして回心しようとしたことを喜んで、救いの手を差し伸べられるということなのです。

 キリストの教会は社会に開かれた共同体です。より多くの人々がわたしたちのカトリック藤が丘教会の扉をたたかれることをお待ちしております。興味を持たれた方は是非日曜日のミサにいらして下さい。

 

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主日のミサ 土曜日 Sat   17:00
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2019年10月巻頭言

10月 1st, 2019   •   no comments   

 

 

カトリック藤が丘教会へようこそ

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            2019年10月      

よき便り    

神さまの前に、いかに生きるか

 

10月の福音書朗読は、神さまに対する姿勢のことについて書かれています。わたしたちは日頃、神さまに「○○してください」とお願いをします。その願いが叶えられた時、わたしたちはどうしているでしょうか。願いが叶った喜びのうちに、神さまに願ったことすら忘れてしまってはいないでしょうか。

年間第28主日で読まれるルカによる福音書は、重い皮膚病を患っている10人の人たちの様子が描かれています。その10人は、エルサレムに上っていくイエスを見かけて、遠くから「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と声をかけました。(ルカによる福音書17・11〜13)

当時のユダヤ社会では、重い皮膚病は汚れたものとされていました。その10人は、自分たちが汚れている存在であることを知っていましたから、遠くからただただお願いしたのでしょう。当時は、病気が治ったことを証明するためには、祭司に体を見せる必要がありました。だからこそ、イエスは10人に「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と声をかけられました。ただ声をかけられた10人でしたが、イエスの言葉を信じて祭司のところに向かいます。聖書は、その向かっている最中に「清くされた」と書いています。

祭司に体を見せにいく途中で、自分が癒されたと知った10人ですが、実際に祭司に体を見せて社会復帰したかどうかは聖書には描かれていません。しかし、10人のうちサマリア人のひとりだけは、イエスの元に、大声で神を賛美しながら戻り、ひれ伏して感謝したと伝えています。イエスはこの人に「あなたの信仰があなたを救った」と声をかけられます。さて、この人は信仰があったから、体が清くされたのでしょうか? 

そんなことはありません。イエスが「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻ってきたのはいないのか。」と嘆いたとおり、イエスに声をかけた10人はそれぞれ癒されたのです。神さまは、信仰を持っているかどうか、あるいは信仰が深いか浅いかにもよらず、同じように癒してくださったのでした。

ただひとり、サマリア人だけは、望んだ願いが叶えられたことに対し、イエスのもとに戻って神さまへの精一杯の感謝を表したのでした。イエスが「あなたを救った」というのは、単に重い皮膚病が清くされたことなのではなく、神さまへの感謝を表したことで、それ以降も神さまがその人を祝福し、より多くの恵みを与え続けて下さるであろうということなのではないでしょうか。

 

わたしたちもまた、だれにも手を差し伸べてくださる神さまに感謝しながら、その恵みのうちに歩み続けていきたいと思います。

キリストの教会は社会に開かれた共同体です。より多くの人々がわたしたちのカトリック藤が丘教会の扉をたたかれることをお待ちしております。興味を持たれた方は是非日曜日のミサにいらして下さい。

 

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ミサのご案内 Mass Schedule

主日のミサ 土曜日 Sat   17:00
日曜日 Sun   10:00

※5月12日から日曜のミサ開始時刻が9時半から10時へ変更になりました。

平日ミサの日時につきましては教会事務所までお問い合わせ下さい。

所在地 Address 東急田園都市線「藤が丘」駅下車、徒歩約7分 横浜市青葉区柿の木台1-2

<お問合せ> 教会事務所 (045)973-4100 FAX(045)979-0506

 お問い合わせ・ご質問は、教会事務所までご連絡ください

火曜日~金曜日   午前10時~午後4時

土曜日       午前10時~午後17時30分

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