教会の設立

カトリック藤が丘教会の始まりはとても小さなものでした。1971103日東急サービスセンター(現在の青葉台東急百貨店の場所)集会所で、初代主任司祭ルシエン・ポアソノ神父による最初のミサが行われました。このときの参列者は47名でした。翌19722月に第1回信徒大会が開催され、激しい雨の降る326に新聖堂で初ミサが行われました。

 

最初のミサから5年前の1966年にカナダケベック宣教会が現在の教会が建つ横浜市青葉区(当時は緑区)柿の木坂に用地を取得しており、197112月に教会の上棟式を行い教会の建設が始まりました。翌19722月に第1回信徒大会が開催され、激しい雨の降る326に新聖堂で初ミサが行われました。6月には教会も完成し、守護の聖人として聖ヨハネ・マリア・ビアンネを戴き献堂式が行われました。

 

2回信徒大会が開催された1973年には、信徒数が293人となり第1回黙想会や第1回バザーが開催され、ビアンネ会(壮年会)と青年会も設立されるに至りました。(婦人会は1972年に発足)

 

地域の発展と共に

東急田園都市線沿線の発展と、隣接する港北ニュータウンの開発も始まり、人口の増加が顕著になり始めた時代です。数十名で始まったカトリック藤が丘教会ですが、1976年には信徒数が500人を超え、教会の建て替えの検討が始まりました。翌19775月には地鎮祭を開催し、翌年4月に献堂式を行うことが出来ました。

 

前庭のレンガテラスは、20数名のビアンネ会(壮年会)の有志が造ったものです。土を掘り起こし、傾斜面をつけながら地をならし、砂利を敷き砂を撒き、レンガを一個づつ砂に叩き込んで完成させました。

 

信徒の活動は年々活発になり、話し合いの会、見学会、講演会などを毎年のように開催するなか、1982年には教会設立10周年を迎えました。この年は92名の堅信式(濱尾文郎司教(当時)司式)に続いて10周年記念パーティが開催されました。

 

1982年に検討が始まった教会共同墓地が富士霊園内に完成し、198511月には墓地にてボアソノ主任司祭司式によりミサを奉げ完成を祝いました。この共同墓地は1遺骨ごとに収納する棚形式とし、合計260遺骨を収納する仕様でしたが、その後地下部分への増床によって複数遺骨にも対応できる共同墓地となっています。

 

新聖堂の建設

藤が丘教会が設立された当時の横浜市は10区でしたが、2000年には青葉区(緑区から)、都筑区(港北区から)の誕生で18区の大きな市となっています。青葉区が誕生する数年前の1996年に教会の第三期建設に着手しました。翌19974月に完成した4階建ての教会は、1400(当時)の信徒の信仰生活を支えています。

聖堂のキリスト像と十字架の道行きは、画家・彫刻家でもあるカナダ・ケベック宣教会のジル・カロン神父によるものです。