巻頭言2020年12月

お言葉どおり、この身になりますように

カトリック藤が丘教会主任司祭

11月末から、カトリックの典礼暦は、12月25日の主のご降誕を待ちのぞむ「待降節」に入ります。毎年、この時期の福音書朗読は、イエスが生まれてくるまでのこと、あるいは神さまがともにおられることをイエスが伝え始めた頃のことが読まれます。今年の福音書朗読は、マルコによる福音書を中心に読まれていきます。この福音書は、イエスが教え始められた頃からが描かれている福音書です。そのため、イエスの誕生前の部分はルカによる福音書が読まれます。

天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」(ルカによる福音書1・28〜)

これが待降節第4主日に読まれる、大天使ガブリエルがマリアのもとに現れて、イエスをみごもることを告げる「受胎告知」の一節です。マリアのもとに突然現れた天使が、突然イエスの誕生を予告したのです。驚かないはずはありません。わたしたちは、自分の理解できないことは拒絶したり、無関心であり続けようとしたりします。現実を見て見ぬ振りをし、そんなことはあり得ないと自己中心の考えに固執しようとするのです。

しかし、マリアは自分の理解し得ないことが起きているにもかかわらず、戸惑いながらもパニックに陥ることもなく考え込むのです。そして淡々と、「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」とガブリエルにたずねます。しかし、その返事も「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。」「神にできないことは何一つない。」というもので、やはり理解しえないものでしかありませんでした。

「何を馬鹿なことを」「そんなことはあるはずもない」と拒絶することは簡単です。しかしマリアは、その理解し得ないものを、拒絶することもなく、理解しないまま静かに受け容れるのです。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように。」

神さまのことを信頼して受け容れていくことなしには、自分中心の考えから離れることができません。カトリックの教会がマリアを特に敬うのは、神さまとの信頼関係を、身をもって示してくれたためです。マリアに倣い、わたしたちもまた神さまを信頼して歩み続けようではありませんか。大天使ガブリエルがマリアに呼びかけた「恵まれた方。主があなたと共におられる。」ということばは、マリアに対してだけではなく、わたしたち一人ひとりに呼びかけられたことばでもあるのです。

キリストの教会は社会に開かれた共同体です。より多くの人々がわたしたちのカトリック藤が丘教会の扉をたたかれることをお待ちしております。興味を持たれた方は是非日曜日のミサにいらして下さい。

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