巻頭言2021年9月

責任をもって、自由を行使し、今を生きる   

カトリック藤が丘教会主任司祭

季節の変わり目を迎えています。コロナの感染拡大が未だにおさまらず、医療機関の逼迫した状況が連日報道される中、不安な要素は更に大きくなっています。緊急事態宣言もあまり効果が無いように感じられますが、感染者の数が少しでも減少傾向を示すなら希望も生まれます。私たち一人ひとりの責任と自由な選択が問われています。ただ祈るばかりです。

幼稚園に係わっていたので、子どもたちへの感染が急増していると聞くと心配でなりません。子どもを持つ保護者の方々の思いはどのようなものでしょうか。新学期も始まる中、教育関係者の方々の不安も計り知れません。

こうした状況がいつまで続くのか見とおしが立ちません。いのちの大切さは言うまでも無く、第一に優先して考えるのは当然のことです。コロナウイルスの感染防止対策などに伴う他の分野への影響は計り知れません。コロナ以外にも重篤な病気があります。そういう人たちが緊急の場合病院に受け入れてもらえず亡くなるというニュースを聞くと、コロナ感染によってもたらされる直接的な影響と、間接的にもたらされるその他たくさんの被害は想像を遙かに超えるものです。一人ひとりが真剣に考え行動することが何よりも求められているのではないでしょうか。

しかし、共産主義的なやり方はできない民主主義の日本では、一人ひとりが与えられた自由をどのように行使するかが問われています。自由を大切にする事は教会の教えの中でも根本的な教えです。強制されてではなく、意味をよく考えて、自らより良い道を選択し自己決定する自由は大切にされなくてはなりません。そして、一人ひとりかけがえのない存在としてその自由は尊重されなければなりません。誰もが、主体的に自分の歩む道を選ぶ権利があります。しかし、自由には責任が伴います。自由は自由奔放とは相容れず、異なるからです。愛に基づく自由の行使が求められています。

責任を持って行動すること。そして、自分のことだけ考えて行動するのではなく、共にある人々と共に歩む必要があります。イエスさまは、先ず神の国とその義を求めるように教えられました。それは愛によって裏付けられたものです。神への愛と隣人への愛に基づく歩みです。自己中心的な生き様を捨てること。その上で愛に基づき自由に神と人々に奉仕する生き様が求められています。

自由は恵みです。旧約時代の出エジプトの出来事が示すように神の救いは人に自由をもたらす救いの業です。更に、イエス・キリストがもたらされたのは罪からの解放と死からの解放によってもたらされた自由です。心の解放、自由を得させるために主は私たちを罪から購い、自由に召されたのです。主に感謝!

「あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって、互いに使えなさい。律法全体は、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされるからです。」(ガラテヤ5章13~14節)

キリストの教会は社会に開かれた共同体です。より多くの人々がわたしたちのカトリック藤が丘教会の扉をたたかれることをお待ちしております。興味を持たれた方は是非日曜日のミサにいらして下さい。

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