巻頭言2014年11月

10月 27th, 2014   •   巻頭言2014年11月 はコメントを受け付けていません   

カトリック藤が丘教会へようこそ

Welcome to Fujigaoka Catholic Church!

                         2014年11月カトリック藤が丘教会

「神の支配の到来」を人々に告げるとき、イエスは「愛すること」と同時に「ゆるすこと」を強く訴えています。「神のゆるし」については、イエスが語ったいわゆる「放蕩息子のたとえ話」が有名です(『ルカによる福音書』15章11節~)。次のようなストーリーです。

ある金持ちに二人の息子がいました。弟の方は、父親からもらった相続分を金に換えて旅立ち、放蕩の限りを尽くして、すべてを失ってしまいました。弟は困窮の果てに我に返り、父親に謝罪してその使用人として雇ってもらおうとします。彼は「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません」と言います。ところが、父親は息子に走り寄って抱擁し、きれいに身づくろいをさせたうえで、肥えた子牛を屠って弟のために歓迎パーティーを催したのです。

たとえ話のこの部分でイエスは、人間をゆるす神の姿を伝えています。しかし、ここで気をつけなければならないのは、「ゆるし」の前提に、弟の心からの悔い改めがあるということです。父は弟のことを慈しみ、ずっと心配していたのに、弟は父に背を向け、身勝手に振る舞い続けました。その思いと行動が「罪」なのです。イエスは父親と弟との関係を、父なる神と人間の関係にたとえて語っています。つまり、父なる神は人間をずっと慈しみ、心配しているのに、人間は感謝を忘れて、どうしても自己中心な生き方をしてしまいます。そういう「罪」を心から悔い改めることが「回心」です。そして「回心」した人びとを、神様は両手を広げて受け入れてくださる、とイエスは教えさとすのです。

ところで、この譬話には兄の言動を扱った後半部分があり、それがまた重要なメッセージを含んでいます。これについては、次回考えましょう。

キリストの教会は、社会に対して開かれた共同体です。より多くの方々が、わたしたちのカトリック藤が丘教会の門を叩かれることを、お待ちしています。興味を持たれた方は、ぜひ日曜日のミサを覗きにいらしてください。

 

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巻頭言2014年10月

9月 29th, 2014   •   巻頭言2014年10月 はコメントを受け付けていません   

カトリック藤が丘教会へようこそ

Welcome to Fujigaoka Catholic Church!

2014年10月 カトリック藤が丘教会

 

キリスト教は「愛の宗教」と呼ばれますが、それはイエスご自身が「神の支配の到来」を告げながら「心を尽くして神と隣人を愛しなさい」と教えたことに由来するからです。

それでは「隣人を愛する」とは具体的にどういうことでしょうか。イエスはそれを、次のような「善いサマリア人」のたとえ話で説き明かされました。ある人が旅の途中で追剥に遭い、服を剥ぎとられて半殺しの状態で放置されました。そこを通りかかったユダヤ教の司祭は見て見ぬふりをして立ち去りました。

ところが、ユダヤ人にとっては敵であるはずのサマリア人は、そこを通りかかると、近寄って手当てし、宿屋に連れて行って介抱しました。そして翌日、そのサマリア人は宿屋の主人に大金を渡して、その被害者の面倒を見てくれるよう頼んで立ち去った、というのです(『ルカによる福音書』10章)。

当時のユダヤ人にとって、ユダヤ人以外の人が「隣人」になるとは想像もつかないことでした。しかしイエスは、敵であるはずのサマリア人が、瀕死のユダヤ人を助けて「隣人になる」ことを教えたのです。ここで示されるように「隣人愛」とは、人を「好き」になるという感情のことではありません。

キリスト教が説く「愛」とは、私情や私心を離れて「相手を大切にする」ことを意味しています。だから、イエスは「敵を愛し、自分を迫害するもののために祈りなさい」(マタイ福音書5・44)とさえ言うのです。

イエスは「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネ福音書15・13)と言いますが、イエスご自身は父なる神の御旨に従って、人々の罪を贖うために十字架に付けられて死んだのです(そして復活しました)。

イエスは弟子たちに言いました。「父が私を愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。・・・私があなたがたを愛したように、互いに愛しあいなさい」(ヨハネ福音書15・9,12)と。私たちはお互いを大切に慈しみ、また隣人を大切に慈しみ、そのことを通して、神の大いなる愛と恵みを人々に告げ知らせていこうではありませんか。

キリストの教会は、社会に対して開かれた共同体です。より多くの方々が、私たちのカトリック藤が丘教会の門を叩かれることを、お待ちしています。興味を持たれた方は、ぜひ日曜日のミサを覗きにいらして下さい。

 

 

 

 

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巻頭言2014年9月

9月 5th, 2014   •   巻頭言2014年9月 はコメントを受け付けていません   

カトリック藤が丘教会へようこそ

Welcome to Fujigaoka Catholic Church!

2014年9月 カトリック藤が丘教会

 

イエスは「神の国」の到来を福音として伝え、貧しい大衆にも「救い」への希望と生きる勇気を与えました。また、重病に罹って罪人の烙印を押された人々を治癒して、神の恵みの力を示しました。福音書にはイエスによる病気の治癒の例が数多く記されています。イエスの言動は、当時のユダヤ教指導者たちの律法主義と祭儀主義に真っ向から対立し、本当の「救い」が何であるかを人々に体験させるものでした。そのため、人々のあいだに驚きと憧れが広がり、多くの人々がイエスを求めて集まってきます。

このような状況の中で、イエスの愛弟子のあいだに「自分たちの中で誰が一番偉いのか」という問題をめぐって口論が発生します。これを聞いたイエスは弟子たちを諭し、「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、一番上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい」(マルコによる福音書、10・43,44)と言われます。

イエスはさらに続けて「人の子(自分)は仕えられるためではなく、仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるためにきたのである」(同上、10・45)と言われます。イエスはこのような表現で、自分の使命を宣言したのでした。この言葉が語られたのは、イエスと弟子たちがエルサレムに入る直前のことであり、それまでにイエスは弟子たちに、自分が殺されて、その3日後に復活する、と3度も予告していました。

しかし「多くの人の身代金として自分の命を献げる」とは、どういうことでしょうか。人間は皆、自分こそという根深い自己中心の現実を抱えています。聖書の世界ではそれを「罪」と呼んでいます。その状態のままでは人間に本当の「救い」はありません。しかし、父なる神は、このような人間たちに「救い」をもたらすために、イエス・キリストをこの世に遣わされたのです。そのような父なる神の意図に沿ってイエスは、「罪に捕らわれた」わたしたちを「罪」から解放するために、「身代金として」自らの命を差し出します。聖書ではこのことを「贖罪」と呼び、次のように要約しています。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネによる福音書、3・16)

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