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2020年7月      

よき便り    

だれもが天の国に招かれている

 

イエスが天に上げられ復活節を終えたばかりのこの時期の福音書朗読は、残されたわたしたち一人ひとりを強めるように、カトリックの信仰にとってたいせつなことや、信仰の礎となることについて読まれています。

 

今年の7月の福音書朗読は、マタイによる福音書の13章から、湖のほとりで大勢の群衆に語ったたとえが3週にわたって話されます。3つのたとえ話の最初の2つは、福音書の見出しにはそれぞれ、『「種を蒔く人」のたとえ』『「毒麦」のたとえ』とされています。

 

しかし、この2つのたとえでイエスが伝えたかった本当にたいせつなことは、「種を蒔く人」のことではなく、良い土地に蒔かれた「種」のことです。同様に、「毒麦」そのものの存在ではなく、毒麦とともに育った「良い麦」のことです。

 

それぞれ描かれるものは異なっていますが、その根底にあるのは、神さまの御旨に従って生きるということでした。神さまは天の国に迎え入れるのは、それぞれの人に蒔かれた神さまからの御言葉を聞いて悟ってしっかりと根を張って生きる人、毒麦のような存在がありながらも、それに染まらずにしっかり育って実を稔らせる人だということでした。このように、神さまへと立ち返った人が、『「天の国」のたとえ』にある「畑に隠されていた宝」であり「良い、高価な真珠」なのです。

 

それでは、そんな宝や真珠のような人だけしか、天の国に迎え入れられないのでしょうか。天の国に迎え入れられるのは、限られた人の特権ではありません。イエスはマタイによる福音書のなかで次のように話しています。

 

疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で、謙遜な者だから、わたしの軛を追い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。(マタイによる福音書11・28〜30)

 

イエスが生きたユダヤ時代は、神さまとの契約として律法に徹底的に従うことが求められ、律法に従わない人は神さまからも見放されても仕方がないとされていました。そういう当時の「軛」に対しイエスは、疲れてしまった者や重荷に感じる人は「だれでも来なさい」と話すのです。

 

イエスの話す「わたしの軛」とは、神さまを信頼して謙虚に従っていくこと。それには、神さまの御旨に従って生きているイエスご自身に学びなさいと諭すのでした。人が神さまの御旨はこうなんだと勝手に規定した律法に従っていくのではなく、神さまを信頼して生きていく。だからこそ荷が軽く、神さまのもとで安らぎを得られると言います。それはすなわち、だれもが神さまから天の国に招かれている存在であるからなのです。

 

キリストの教会は社会に開かれた共同体です。より多くの人々がわたしたちのカトリック藤が丘教会の扉をたたかれることをお待ちしております。興味を持たれた方は是非日曜日のミサにいらして下さい。

 

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