死者の月を迎えて

主任司祭 鵜飼好一

11月は死者の月と呼ばれていますが、諸聖人の祭日に始まり、死者の日を記念し、天上の教会のことを思い起こしながら、王であるキリストの主日を記念して一年の締めくくりをいたします。教会の暦では最後の月を迎えました。11月27日の日曜日から教会は新しい年を迎えます。待降節の始まりです。さて今、来年度に向けての一番の準備は新しいミサの式次第に関することです。10月に入ってこのことを広く皆さんに認識していただくため、毎日曜日にミサ後勉強会を行いました。そうはいっても、新しいミサが始まってから慣れていく以外にないと思います。少々混乱があるかもしれませんが、時間をかけて新しいミサの式次第の言葉に慣れていくよ
うにいたしましょう。

さて、振り返ってみると、今年もコロナに振り回された一年でした。この先もまだ安心というわけではないでしょうが、わたしたちは自分たちの生活を取り戻していく必要があります。しかし、コロナの影響の他にもウクライナ戦争や気候の不安定さもあって景気が思わしくなく、経済的な不安の中で私たちは苦しい状況下に置かれています。政界も揺れています。

私たちはキリストを信じる者として、今をどのように歩んで行くべきなのでしょうか。初代教会においても迫害の中で、また主の再臨を待ち望みながら、信徒は大きな不安の中で日々歩んでいました。パウロはしっかりと地に足をつけて毎日を歩むために神の武具を身に着けるように手紙の中で教えています。
 「邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当として着け、平和の福音を告げる準備を履物としなさい。なおその上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪いものの放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして、根気よく祈り続けなさい。」(エフェソ:6章13~18節)

わたしたちには恵みとして頂いた信仰があります。困難な時代にあっては、どのような状況の下に置かれても、希望を持ち続けることができるように神の助けを求めましょう。苦しみにも意味があることを主はわたしたちに示されました。神の愛を信じるなら、希望を失うことはありません。神がどのような時にも共にいてくださることを信じ、わたしたちもキリストのように神の愛を証しする者となりますように…。特に、ミサを捧げることによって、信仰の確信を失うことなく、わたしたちが皆、信仰のうちに日々力強く歩んで行くことができますように祈りましょう。

キリストの教会は社会に開かれた共同体です。より多くの人々がわたしたちのカトリック藤が丘教会の扉をたたかれることをお待ちしております。興味を持たれた方は是非日曜日のミサにいらして下さい。

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