12月巻頭言『待降節を迎えて』

主任司祭 鵜飼好一

教会はまた新しい一年を迎えました。12月のこの忙しい時期に、ご降誕際に向けての準備はなかなか大変です。一般の暦の最後の月は師走と言われるように一年の締めくくりとなる月ですから…。「教会のことばかり考えてはいられない」、そう思う人もたくさんいると思いますが、信仰生活の上で、待降節は大変重要な季節です。主がわたしたちの心に恵みの光を注ぎ、その恵みに支えられて、充実した時を過ごせますように。

2024年はこの12月で終わりますが、2025年は通常聖年として特別に神様の恵みに与る年となりました。12月29日の聖家族の日から聖年が始まります。教皇フランシスコは「希望は欺かない」とメッセージを全世界に送っています。「希望」は聖年のキーワードです。

信仰生活を送るうえで、わたしたちは神の恵みによって生きていることを先ず思い起こさなければなりません。主イエス・キリストこそ恵みです。すべての恵みは主イエス・キリストを通してわたしたちにもたらされたのです。そして、わたしたちは神の恵みによって与えられた信仰、愛、希望のうちに神とのさらなる交わりと一致を生きるように招かれているのです。信仰、愛、希望は神の恵みによってわたしたちのうちに育まれる徳で、対神徳と言われています。

待降節は救い主である主イエス・キリストの誕生を記念するために準備する季節です。2000年ほど前、すでに、救い主はすべての人に救いをもたらすために来られ、今、救いの恵みは主を信じる人々に注がれています。その恵みは罪の赦しと永遠の命です。愛のゆえに人となられた神の御子の死と復活こそわたしたちの希望の源なのです。

信仰によってわたしたちは救いに与ります。その信仰は神の愛といつくしみを知り、信じ、その愛に信頼して自分のすべてを委ねることです。神の愛は神の御独り子、主イエス・キリストによってわたしたちに証しされました。その最初の具体的な出来事が主のご降誕です。目に見えない神がわたしたちと同じ人間となり、神の愛を示されたのです。すべては、最も弱々しい人間の赤子、幼子のうちに全能の神の御姿を認めることから始まります。それこそ神のみわざです。神の恵みなくしてそれは不可能なことです。

ご降誕際を祝うために、信仰の恵みを祈り求めます。御父が御子をわたしたちの救いのために遣わされたことを信じ、その愛を信じることができますように。主イエス・キリストが人となられた神であることを信じ、受け入れ、神の愛にわたしたちが愛をもって応えることができますように。そして、御父の御子への愛のまなざしが生まれたばかりの赤子、主イエスの上に注がれているように、最も弱い人々の上にこそ神の愛のまなざしが注がれていることに気づかせてくださるように。神がどれほど慈しみ深い方であるかを知るとき、わたしたちの心はきっと希望と平和に満たされるでしょう。主が、わたしたちの信仰・愛・希望を強めてくださいますように!

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