2月巻頭言『聖年を迎えて』

主任司祭 鵜飼好一

2025年も早くも2月を迎えます。昨年の降誕祭にローマの聖年の扉が開かれ、今回の通常聖年が始まりました。25年ごとの聖年ですが、豊かな神の恵みに与り、有意義な一年を過ごすことができるように願っています。今まで以上に神の慈しみに信頼し、確固たる信仰のうちに共に歩んでいくことができますように…。

今年に入ってすでに何人もの方々が帰天され主に召されていきました。その度に確認する思いですが、わたしたちはこの世にあって、神の恵みのうちに生き、天の故郷を目指して歩んでいると言うことです。この世の現実を無視するわけではありません。聖年の回勅、「希望は欺かない」で教皇様はこの度の聖年において[希望]をキーワードとして掲げています。パウロもヘブライ人への手紙の中で信仰について語り、「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」(ヘブ11:1)と述べています。

福音とは何かと言えば、キリストの死と復活によって、「すべての人に罪の赦しがもたらされ、すべての人が永遠のいのちに生きることができる者とされている」ということです。福音を信じているわたしたちは神の愛を信じ、希望を抱いて天の故郷を目指して歩んでいるのです。

聖年において、「巡礼」という言葉もキーワードと言えるでしょう。巡礼が勧められています。ローマに巡礼することは理想ですが、日本でも各教区に巡礼のため指定された教会が設けられています。横浜教区にあっては山手教会がその教会ですが、そういった機会を設けることができればいいと思います。

巡礼と言えば、モーセの時代の「荒れ野時代」を想像します。エジプトから出て、40年間荒れ野を渡り歩き、約束の地に入るのですが、わたしたちにとって約束の地は天の故郷に帰ると言うことです。

希望に生きることは、この世にあって様々な困難に出会いながらも、神の約束に信頼し生きる事です。信仰を深め、忍耐して歩み続けることです。

聖年にあって、愛である神の恵みを新たに実感し、信仰を深め、希望を持って忍耐し、すべての困難に打ち勝って真の喜びを味わうことができるように祈ります。

ボタンを押すとSNSのフォローができます