6月巻頭言『聖心の月を迎えて』
主任司祭 鵜飼好一
いよいよ6月を迎えました。梅雨の季節です。今も雨が降っていますが、雨は恵みの雨であると同時に、行き過ぎた雨は洪水を引き起こします。毎年のように日本の各地で災害が起きていますが、水による大きな災害が起きないように願います。世界中でこれまでにない気候の変動がみられるようですが、災害に備えるように、特に最近、頻繁に呼びかけられていると感じます。
生き物には水が必要です。生き物の体の多くの部分が水で構成されています。しかし、わたしたちにはより根本的な霊的な水が必要です。イエスさまは聖霊を心の渇きを癒す命の水にたとえています。水は聖霊の象徴の一つです。命の水といえば、イエス様はご自分を受け入れる人々に、聖霊をあたえる約束をなさいました。救い主の先駆者として遣わされた洗礼者ヨハネは、聖霊を私たちに注がれる方としてイエス様を紹介しました。ヨハネ福音書で、「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」(ヨハネ4章14節)と言っています。
今年は6月29日に、藤が丘教会で堅信式と初聖体が梅村司教様によって行われます。教会にとって大きな恵みです。洗礼の時キリスト者は聖霊を注がれて神の子となり、ご聖体によって養われ神のいのちのうちに成長し、堅信の秘跡によって福音を証しするため聖霊のさらに豊かな賜物の恵みをいただきます。この恵みをご一緒に感謝のうちにいただきましょう。神さまの救いのみわざをご一緒に賛美いたしましょう。
さて、6月は聖心の月です。主が十字架の御業によって示された愛を深く味わうように呼びかけられています。信心業の一つですが、神の愛を知り、その愛にふさわしく応えるように私たちは招かれているのです。そして、「神はいつくしみ深い愛の父である」と知るとき、わたしたちは愛に霊である聖霊に満たされて、主であるイエスさまが命じられた愛の掟を生きる者として歩むことができるように力づけられるのです。
聖心の信心は聖心の御絵によって象徴されています。槍で貫かれた心臓を指し示すイエスさまのお姿です。主のご受難と十字架上の死が示唆されています。罪のゆるしをもたらされ、復活のいのちへと私たちを招いて下さる主は、いつも私たちに愛を呼びかけています。その愛にわたしたちが相応しく応えることができるよう、神さまの愛を深く味わい、感じることができますように。
「神はわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」(Ⅰヨハネ4章11節)