巻頭言2021年10月
緊急事態宣言の解除にあたって
カトリック藤が丘教会主任司祭
ようやく9月末日をもって緊急事態宣言が解除されることになりました。大変喜ばしいことです。しかし、そうは言っても、まだまだコロナ感染に対する警戒は続けなければなりません。藤が丘教会も今まで通りの警戒措置をとりながら、活動を再開いたします。
ミサは私たちの信仰生活の土台ですので、日曜日のミサの回数を増やし、できるだけ人の集中、密集を防ぎながら続けてまいりました。まだしばらくは今までと同じように行い、変更はありません。平日のミサにおいても同様です。
長らくお休みにしていた勉強会も再開いたします。私の担当しているキリスト教入門講座やマルコ福音書の勉強会、祈りの会など、10月の第2週から始めます。とても長いお休みだったので久しぶりに行う勉強会も軌道に乗るまで更に少し時間がかかるかもしれません。しかし、あまり急ぐ必要もないのではないかと思っています。
共に学ぶことの大切さは言うまでもないのですが、休みの期間中考えていたことの一つは、それぞれが主体的に学ぶために、いかにして学ぶべきかを知ることが大切ではないかということです。知識は無限に広がっています。きりがありません。その中で重要な知識をいかにして見いだし学んでいくのか、自分が真に求めているものは何かをどうしたら知ることができるか…。
「あなたは何を求めているのか」「大切なことはただ一つ」と言われるイエス様の問いかけに答えて、私たちも自分が何を求めているのか自分の心に問いかける必要があります。
さて、神はすべての人に呼びかけて、様々な方法でご自分を啓示なさいます。存在を通して、出来事を通して、聖書のみ言葉を通して…。今、神は私に呼びかけておられる。その意識を持つことが大切です。心を澄まして聞かなければなりません。何かをすることよりも、主が共にいてくださることに意識を集中することが大切です。では、どうしたら意識を常に主に向けていることができるでしょうか。昔から様々な信心業がありました。その中で、射祷と言われる祈りかたがあります。短い祈りの言葉を常に繰り返す祈りの方法です。東方教会では「イエスの名の祈り」が代表的です。ローマカトリック教会の祈りにもたくさんの実践があります。祈りの本にはそのような祈りがいくつも紹介されています。
祈りの本質はキリストの現存のうちに身を置くことです。今ここにおられる主に心を、意識を向け続けることは絶えざる祈りを求めておられる主に応えることです。いろいろな行動制限を受ける時代にあって、私たちの心まで萎縮してしまわないように気をつけなければなりません。心の自由は主との交わりの中でこそ発揮されるべきものです。主が共にいてくださることは、主が約束してくださったことです。「わたしは世の終わりまであなた方と共にいる」と…。ですから、わたしたちはそれを信じ、共におられる主にいつも心を向けていましょう。主の思いが、私たちの思いになりますように。
キリストの教会は社会に開かれた共同体です。より多くの人々がわたしたちのカトリック藤が丘教会の扉をたたかれることをお待ちしております。興味を持たれた方は是非日曜日のミサにいらして下さい。