巻頭言2021年6月

神の愛を噛みしめ味わう月・6月

カトリック藤が丘教会主任司祭

5月の聖母月が終わると、教会は神さまの愛の象徴である「イエスの聖心」の月を迎えます。「イエスの聖心」の信心は初金曜日のミサや聖時間の祈りの実践において今でもたくさんの人々に親しまれているでしょう。世界中で聖心のご絵は良く知られています。

信心業ということでは、かつての勢いはないかもしれません。第Ⅱバチカン公会議後、どの信心もあまり顧みられなくなりました。ミサをこそ大切にすることが強調されるあまり、信心業そのものがあまり重視されなくなったのです。

「神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです」(ローマ8:14)とパウロは言います。信心業の目指すところは、神の子である私たちが聖霊の促しに、より速やかに応えることができるように、心を整えることです。愛の霊に促されて、神の愛にすぐに応えることができるようにするのです。

聖心の信心が私たちに示し、呼びかけていることはキリスト者の信仰生活において大変大切なことです。なぜなら神が私たちキリスト者一人ひとりをどれ程愛しておられるか、「神の愛」を私たちに呼びかけ、訴えているからです。

茨の冠を冠せられ、槍で貫かれたイエスさまの心臓…。それはイエスさまの私たちに対する愛の象徴です。聖書の記述には槍で刺し貫かれたイエスさまの心臓から血と水が流れ出たことが書かれていますが、それは洗礼とご聖体の秘跡を象徴しています。水も血もいのちの象徴で、イエスさまから新しいいのちが流れ出でいることを示し、そのいのちに私たちは秘跡によって豊かに預かるのです。

ですから、聖心の信心は私たちを愛の秘跡であるご聖体へと招きます。十字架による罪からの購いを黙想し、神さまの愛を深く味わい、その愛によって養われるように、ご聖体に対する熱情を私たちに呼び起こすのです。

イエスさまの使命は、「神は愛」であることを私たちに証することでした。十字架によってそれは証されました。聖心の月は神さまの愛を噛みしめ、その愛に応えるように私たちを促します。そしてさらに神さまの愛をいかにして人々に伝えるか…。それは福音を伝える使命にあずかる私たちにとって大切なことです。神の愛を知り、神を愛すること…。神への愛は隣人愛の実践によってこそ実りあるものとなります。それこそキリスト者の堅固な信仰生活そのものです。

私たちキリスト者の召しだしは、一言で言えば「愛に生きる」ことです。それは神の恵みによってはじめて可能です。愛の霊である聖霊の御業であると言えるでしょう。神さまの愛が今も力強く私たちに訴えかけています。その呼びかけにふさわしく応えることができるように、6月は特に「神の愛」を噛みしめ、更に深く味わう恵みを祈り求めたいと思います。

キリストの教会は社会に開かれた共同体です。より多くの人々がわたしたちのカトリック藤が丘教会の扉をたたかれることをお待ちしております。興味を持たれた方は是非日曜日のミサにいらして下さい。

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