巻頭言2021年4月
群れに入っていない羊も気にかける羊飼い
カトリック藤が丘教会主任司祭
今年の福音書朗読はマルコによる福音書が読まれています。聖書に書かれている4つの福音書のなかでも、マルコによって書かれた福音書はもっとも短いものです。マルコによる福音書は、イエスの誕生部分は書かれていませんし、復活したことが告げられて以降、天に上げられるまでのことも短く伝えるのみです。マルコは、イエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受けてから十字架上の死と復活まで約3年間と言われるイエスの宣教生活(公生活)を伝えたかったからなのでしょう。
マルコが最も伝えたかったことが、「神さまからの福音」ということでした。福音とは「良き知らせ」のことです。「神の子イエス・キリストの福音の初め。」と書き始められた福音書は、その結びの部分でも、復活したイエスが弟子たちに「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」(マルコによる福音書16・15)と命じてから天に上げられました。
イエスが公生活を送っている間は、イエスが周りに集まってくる人に直接、神さまの福音を伝えていました。イエスは天に上げられる時になって、神さまの福音を伝える役目をイエスとともに過ごした弟子たちに託しました。それ以降の弟子たちの様子は、復活節のミサの第一朗読で「使徒たちの宣教」と題して読まれる「使徒言行録」に書かれています。
イエスとともに過ごした弟子たちが伝えた神さまからの良き知らせは、伝えられた人たちからまた別の人へ、世代を越えて今日に伝えられてきました。福音を伝えていく人びとに神さまからの豊かな働きかけがあったことは言うまでもありません。その福音とは、神さまは、身分の違いを越え、律法を守った生活をしているかどうかも越え、健康であるか病気であるかも問わず、すべての人に手を差しのべようとしておられるという良き知らせ。神さまは、まだその存在を知らない人さえも気にかけておられるという良き知らせでもありました。
さて、今年の復活節第4主日に読まれるヨハネ福音書の中で、受難に向かうイエスが弟子たちに、神さまがすべての人をたいせつにし、招いておられることを話されています。
「わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは、羊のために命を捨てる。わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かねばならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。」(ヨハネによる福音書10・14〜16)
どんな人も分け隔てなく気にかける神さまのいつくしみに感謝しながら、一歩一歩しっかりと歩んでいきたいと思います。
キリストの教会は社会に開かれた共同体です。より多くの人々がわたしたちのカトリック藤が丘教会の扉をたたかれることをお待ちしております。興味を持たれた方は是非日曜日のミサにいらして下さい。