巻頭言2021年8月
コロナ禍でのオリンピック
カトリック藤が丘教会主任司祭
またまた緊急事態宣言が神奈川県にも発令されることになりました。感染拡大のスピードが今までになく急激に増えている状況の中で、誰もが不安を抱かずにはいられません。自分一人だけの努力で解決できるものではないので、真剣に取り組んでいる人ほど焦燥感にさいなまれます。
何事につけても、同じような状況が長く続くと、人は忍耐を失いがちです。そうした心の戦いが誰の中にもあるでしょう。丁度今、オリンピックが行われています。自分自身との戦いに打ち勝ってこそ、他者との戦いに勝利することができる…。どのようにして戦いに勝利することができるのか、毎日の報道を通して目に見える形で私たちは学ばせていただいていると言えるでしょう。
コロナとの戦いは戦争のようなものだと時々言われます。緊急事態と言う言葉にもそのような響きがあります。オリンピックでいえば団体競技のようなものでしょう。みんなで力を合わせなければこの戦いに打ち勝つことができません。自分を信じ、ともに戦う友を信じる心も求められています。
選手たちのオリンピックでの戦いはほんのわずかな時間です。しかし、明確な目標を持ち、決定的な戦いの時を迎えるまでの長い鍛錬の積み重ねと、困難に遭遇しても諦めず、忍耐をもって真剣に課題に取り組み、臨んできた結果でもあるのです。コロナ禍にあってのオリンピックは是か非か問われていました。報道では度々試合を迎えるまでの選手一人ひとりのそれまでの経緯が紹介されます。困難を克服してきた彼らの長い準備と毎日の戦いに触れるとき、多くの人々は感動を覚えるでしょう。人間の能力には限りがありますが、人がその限界に挑む姿はわたしたちにとって、自分自身の毎日の歩みを改めて振り返る良いきっかけにもなるでしょう。一つのことに集中し、徹底的に追い求める姿は美しいと思います。
信仰の道においても共通するところがあります。パウロは言っています。「わたしは、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達したいのです。わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕えようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕えられているからです。兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです」。(フィリピ3:10~14)
最近マルタとマリアとラザロの記念日がありましたが、毎日のミサの朗読個所の中で、マルタに「必要なことはただ一つ」(ルカ10:42)と言われたイエスさまの言葉も思い出します。キリスト者として、自分が何を求めているのか…。明確な目標とそれに向かって自分のすべての力を集中していく信仰者としての姿をもう一度イメージできれば幸いです。
キリストの教会は社会に開かれた共同体です。より多くの人々がわたしたちのカトリック藤が丘教会の扉をたたかれることをお待ちしております。興味を持たれた方は是非日曜日のミサにいらして下さい。